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カーズのaのネタバレレビュー・内容・結末

カーズ(2006年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

・本作は、ディズニーが正式にピクサーを買収する前にピクサーが制作した最後の映画であり、ジョン・ラセターが監督をしている。この後、ラセターはディズニーに買収され(名目上は買収だが、実際にはディズニー再建のキーマンになってほしい魂胆の逆買収であった)、ディズニーは10年代にさらに隆盛を誇ることとなる。

・本作のDVDは2日間で500万枚が売れた(!?)。また、VHSでリリースされる最後のピクサー映画であり、ブルーレイでリリースされた最初のピクサー映画でもある。商品売り上げも、5年間で80億ドルと、当時のピクサーでは史上最高であった。

・本作の監督であるジョン・ラセターは、2000年に妻と5人の息子とともに、ルート66を横断する旅行へ行った際に、本作の構想を練った。この旅行は、ラセターの妻が、ラセターがあまりにスタジオに引きこもっているために、外へ出そうと強く要望したもので、映画の構想についても、妻は「この映画は車に興味のない人々、主に女性のために作らなければいけない」と指導したらしい。本作は、ラセターには珍しくドラマを軸とした映画になっているように思ったのだが、そこにはこのような裏話があったのかと納得した。

・そもそもルート66は、イリノイ州のシカゴとカリフォルニア州のロサンゼルスを結ぶ、全長3755kmの道路だ(地図で見ると本当にすごい)。これは、1920年台に、アメリカの連邦政府によって始まった、最初の道路事業である。それまでは、アメリカにおいて巨大な一本道の道路というのは存在しなかったのだ。ルート66とは、西部の発展を促進した重要な自動車道路だったのだ。

・1920年台以前のアメリカでは、道路整備がされていない以上、国民は州ごとに独立している意識が非常に強く、基本的に州を跨いだ移動というのはほとんど行われてこなかった。しかし、1920年代、ルート66が整備されるようになると、戦争から帰ってきた兵士たちが車を購入・所有し、アメリカの他の州まで家族で行ってみて、そこで戦争の傷を癒すことを目的とした旅行文化が栄えるようになる(”Discover America”)。

・しかしその後、車社会の醸成と交通量の爆発的な増加に対応していく形で、アメリカでは新たに高速道路(Freeway)が作られるようになる。ルート66は、都市と都市の間や、それまでの通行の要所をなぞる形で道路を整備していたが、それに対し高速道路は、全く関係のない場所を新しく一直線で結んでいくという工事(つまり、高速道路を通すために直線軌道のトンネルを掘りまくったり、新しく橋をかけたりなど)をしていく。

・こちらのほうが当然ドライバー同士にとっては運転の都合が良く、渋滞も緩和され、移動距離も短く、制限速度もない。なのでその後のルート66は、ほとんどが廃れていくことになったのだ。

・その後、いまのルート66では、当時あったモーテルやドライブインに文化的な意義を持たせることで、ポップカルチャーの題材として扱われている。特に60年台の車はどれも素晴らしいし、モーテル、ネオンサインなどは超かっこいいので、古き良きアメリカの象徴としていまでも度々映画に登場する。

・昔に60年代のアメ車の博覧会に行ったことがあるのですが、この時代の車はどれも、耳がつんざけるほどの様々な周波数の爆音と、ガソリンの強烈な臭い、そして白か黒の煙をバンバン出しながら走行するので、とても乗るような意欲は湧かないです。なのですが、かたやデザインは、どれも職人家業なので、今のベルト式の大量生産車とは全然違い、どの車ももれなく最高にクールで独創的ですね。『カーズ』のメインで登場するのはスポーツカーですが、ラスティーズの車たちや、途中に出てくる族っぽいネオンの車たちはどれもこの頃の車を踏襲していて、いい感じでした。ただ、ラスティーでないピカピカのアメ車を見たかった気持ちもありますが。

・本作でピクサーがデザインのテーマにしているのは「重量感」である。これまでのCGは、一言で言えば「軽い」とされており、重力のなく、どこかイラストやポリゴンチックなものを連続で動かしているという印象から脱却できていなかった。それが、本作では、車という重い物体がぶつかり合ったり、道路に「影」を描いたりすることによって(今までは物体と影は独立して描いていたのだが、本作では地球の物理法則と同様に、物体の形をそのまま影に反映するという、最新鋭の演算が用いられたのだ)、しっかりと重さのあるCGを描くことに成功している。凄い。

・これまでの漫画では、車を生命体として描くときにはヘッドライトの部分を目にしていたのだが、ジョン・ラセターが『青いクーペのスージー』(1952)というディズニーの漫画に影響を受け、キャラクターの表情を豊かにするために、フロントガラスに目を付けることにしたらしい。これにより、本作のようなドラマが中心となる映像でも、しっかりと描き出せているように思う。

・マックィーンの、時々舌を出して考え事をするという特徴は、ジョン・ラセターの特徴をアニメーターが模倣したものであるそう。

・ちなみに、1955年にドック・ハドソンがレース業界から解雇されたことは、当時のレース界の史実に基づいている。50年台初頭の、(ドック・)ハドソン・ホーネットがレースを席巻していた頃のエンジン(SV)に比べて、1955年になると、フォード等は、相次いで、よりコンパクトな爆発で車を動かせるエンジン(OHV)を開発。ホーネットはこれを搭載していなかったため、大敗を期し、以降SVが自動車産業から姿を見せることは無くなった。ドック・ハドソンがエンジンをふかすときに大量の煙が発生していたのは、SVのエンジンがOHVのエンジンに比べて大きな爆発と大量のガソリンを必要とすることの名残である。

・実は、道路舗装機械のベッシーは、自分を引く車に泥を吐くたびに、笑い声をあげているらしい!これは、目が見えなくても知能を持っていることを示唆している。謎に包まれたキャラすぎて、急にベッシーのシーンだけ怖かった。

・スタートのシーンで、マックイーンの「蝶のように舞い蜂のように刺す」というセリフが日本語訳であったのだが、英語では”Float like a Cadillac, sting like a Beemer.”と発音している。日本語に訳すと「キャデラックのように優雅に、BMWのように速く」であり、同上のモハメド・アリというボクサーによる名言を、車のメーカーによりもじったジョークとなっている(マックイーンのキャラは、モハメド・アリがモデルになっていることもある)。

・考察(?)。メーターがトラクター(牛)を爆音で驚かせて喜ぶ動作(および、メーターや本作の随所で見られる価値観)は、いわゆる20世紀前半アメリカにおける「コール・ローリング(”coal rolling”。直訳すると「石炭噴かし」)」に由来しているように思います。コール・ローリングとは、エンジンを改造して、わざと真っ黒な黒煙(や爆音、タイヤの煙etc…)が出るような仕様にし、それを通りすがりの歩行者や車、動物にぶっかける、という(最低な)遊びのことです。これはつまり、アメリカにおけるレッドネック・カルチャーの一部で、マッチョイズムで、がさつで、でかいエンジンを好み、環境保護はクソ喰らえ、大豆を食べるな、みたいな文化により作り出されたものです。

・特に、「環境なんか知るか!黒煙を喰らえ!」という意味で、例えば環境保護を訴えるデモ隊の真横まで行って、大量の黒煙と爆音をまぶして去っていくようなディーゼル車の映像は、いまだによくあります(調べる限りだと、特に理由なくカップルに黒煙をまぶして行くだけという最悪な例も、よくありますね)。というのも、アメ車というのは、このような20世紀のマッチョ・カルチャーとは切っても切り離せない関係にあり、ルート66なんてのはまさにその代表格でした(今でもマッチョなハーレー乗り達は、よく66の付いた革ジャンを着ています)。

・最初のマックイーンたちのトラッシュトークに始まり、適当に女性を侍らせ、車煽りと煽られを常にしていて、特にメーターはコール・ローリングの常習犯であり、メーターにはキャラとしてギリギリのラインを攻めるようながさつがあるのですが、これはまさにそのようなカルチャーを体現するような存在で、一種のノスタルジーに近いのでした。

・総評&感想。ドラマ展開は激渋の、まさにストーリーまで60年台のウエスタン風に寄せてきているのですが、しかもそれを半人半車という奇異な生命体で感情移入できるのですから、その描き込みの緻密さはさすがピクサーとしか言いようがない、もうアニメ表現に関しては文句なしに世界一ですね(本作のストーリーは、ほとんどが目の動きだけで進んでいくのもヤバすぎると思います)。車の表現もあくまでリアリティに寄り添っている点は素晴らしいし、何より子供の頃に図鑑で見てきたものがそのまま飛び出してくるのは嬉しいです。

・ただ、嘘を付かずに率直に申し上げると、本作は若干マッチョ「側」の人間が書いた感が否めないキャラやストーリーではないでしょうか。最初のレース業界が競争にまみれていて、そこで煽り合いが絶えずトラックが寝不足になるまでは「ここからどんな競争社会に対するどんでん返しがあるんだろう!」と結構良い感じだったのですが、方やルート66に紛れ込んだとて、そこで彼を迎えてくれる街の車は、自称親友(一方的な認定をされると怖い)で、コール・ローリングで絆を深めたメーターに始まり、出会ってから終わりまでずっと微妙な誘い合いをしているヒロインのサリー(ここが本当に60年代映画っぽい)、そんなサリーに対してだるいメーター、エンジンが鈍いのに無理やり「レース」勝負を挑んでサボテンに突き落として勝った感を出してくる頑固親父(威厳を演出するカットだが正直よく分からなかった)、町おこしをするまで小言をやめない老婦、警察による割と根拠のない押し付け罰、オーガニック吐き出し描写、(キャラでも)「男がラブだの言うな」とギャグで言ってしまう軍人等々、20世紀の田舎ならではのマッチョイズムを持っている人物ばっかりで、これがハイテクで競争社会なレース業界とのいい意味の対比構造に繋がるとは、あまり思えませんでした。

・単純にレース描写をもっと見たかったのもあるのですが、レースではないドラマ映画にしても、メーターのキャラデザってはっきり言ってかなり気になってしまいますし、サリーをいい感じに描こうとしているけれど、舞台装置みたいな女性の描き方はステレオタイプ過ぎてサリーが可哀想という感じが拭えず、最後のエンドも「マックィーンが一歩下がる」ことが競争社会への反抗になるのも字面がすぎるというか、君は車として速く走ることが目的の存在なのだから全然優勝して良いんですよ感があるし、全体を通したら「王道」のストーリーなのですが、細かい部分でどうしても映像表現というよりはノスタルジーに則しすぎいるのではないかと思わざるを得ませんでした。

・でも、マックィーンのキャラクターは良いですね。皮肉屋でトラッシュトークがうまい、けれどもどこか憎めないというのを(モハメド・アリを参考にして)製作陣も望んでいたらしいですが、それはうまい塩梅で達成できていたと思います(結構、序盤の浮かれまくってるマックィーンも、それはそれで魅力的だし、序盤のカーレースやネオン調のトレーラー内ガレージなど、映画映えするので好きなんですけどね)。

・また、複数回ある下ネタの差し込み方が上手くないからくどく見えるのと、あと全員ナンパの件が長すぎるという感想もありましたね。やはりもう少しこのCGでド派手なレース映像や、ルート66を舞台にした超絶カーチェイスを見せてくれたら、ある程度は多めに見ていたかもしれないのですが…2以降に期待!
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