1991年3月26日。韓国、大邱広域市内の5人の少年が失踪した。「カエルを捕まえに行く」と告げたきり帰って来なかった事から、その事件は『カエル少年失踪事件』と呼ばれた。本作品は、実際に起きた事件に基づき、当時の様子をドキュメンタリータッチで描いたサスペンス映画となっている。
近年、韓国の映画やドラマが注目されており、そのクオリティの高さが評価されている。私も『パラサイト』や『エクストリームジョブ』などの韓国映画にハマり、韓国映画縛りで何かジャケ借りしようと選んだのが本作であった。この映画のタイトルを見たとき、この事件を知らない方からすれば、一見ホラーサスペンス映画のように思えるだろう(私もその一人である)。
しかし、レンタル店にて重要なネタバレになり得るポップを見てしまったので、そのような勝手なイメージは消えてしまったのだが、確実に何も知らないで観た方が一作品として楽しめるはずだ。
以下、ネタバレや感想を含みます。
ポップで見てしまったネタバレとは『この映画を犯人に見て欲しい』である。時効の成立した未解決事件であり、犯人は未だどこかで生きている可能性があるということを知り、この事件の詳細を全く知らない私にとっては、大きなネタバレとなってしまった。
こういった悲惨な事件で、最も残酷なのは罪の一部を遺族らが背負ってしまう事だと思う。あの日、子供らが出かける前に別の一声をかけていれば助かったかもしれない。失踪した後に、あの場所を真っ先に探しに行っておけば助かったかもしれない。そうやって自分自身を責めてしまうことが何よりも悲しい。
犯人が奪ったものは5人の子供達の人生だけではない。残された親族や、この事件の真相解明に尽力を注いだ人。名声のために証拠も不十分のまま取り返しのつかないことをした人、その家族。
作中の「この街はあの時から取り残されたまま」というセリフが印象深く、遺族らがどれほどの精神をすり減らしたか想像することはできない。
本作では、捏造によって名声を手に入れたTVプロデューサー、ジスンを軸に物語が展開していく。彼はこの街に左遷され、この事件の真相に迫ることが出来れば、また本社で活躍することができると睨み、関係者と接触していく。彼はドラマチックな展開になるような推測を立てていくのだが、その際、刑事に「バカげた憶測ほど、残酷なことはない」と告げられる。このセリフがわたしの脳裏に鋭く残った。
ジスンは教授を利用して、遺族の想いを踏みにじり、そこでようやく反省の色を示して一線を退いたかのように見えた。しかし、少年らの遺骨が発見されたことを皮切りに再びその事件に顔を突っ込むのだが、まったく懲りていなかった。バカげた憶測で行動を示し、事件の真相に迫ろうとした。
ペテンプロデューサー、ジスンが遺族らの心をさらに破壊したにも関わらず、最後までその心意気が変わっていなかったのが、なんともリアルで、欲望だけで生かされている可愛そうな人だなと思ってしまった。
前述した内容が色濃く現れていた場面がある。犯人と思われた人物が娘と接触したこを知り憤るジスンは、その人物に対して「娘に何をする!」と荒げたのだが、
それは違っている。その人物はジスンのバカげた憶測が正しければ、5人の少年を殺害し、遺族に大きな傷を残した人物であると。だから、第一声は5人の少年を弔う言葉であって欲しかった。
と、残酷な事件の傷をさらにえぐったジスンをメインのキャラクターに添え、エンドクレジットに遺族らを想うとは、正直呆れてしまったのだが、悪はただ一人、犯人だけなのだ。そして、そんな事件を映画として世に伝えるためには、ストーリーテラーとなる人物として中心に据えやすいのはジスンであったことを理解しなければならない。
多くの人の人生を殺害した犯人。湧き上がる怒りを言葉にすることが出来ない。