天豆てんまめ

M★A★S★H マッシュの天豆てんまめのレビュー・感想・評価

M★A★S★H マッシュ(1970年製作の映画)
4.0
我が家はW受験真っ最中。
なかなか逆境も多い。

そんな時にフォロワーさんに4年以上前に観て書いたレビューを先週褒められて、自分のレビューを改めて読んだら、過去の自分に今の自分が励まされて、見たくなってしまい🤣改めて観たらやっぱり面白かった✨笑

コロナ禍で入試本番のプレッシャーに悩む息子たちにいつかこの作品を見せたいな。

ルールをはみ出した先に見える世界を。

この作品は、組織の評価や枠組みに囚われないアウトローなメンツがやりたい放題やる話だ。

舞台は1950年に始まった朝鮮戦争の最中、前線の陸軍病院(通称MASH)で、破天荒な軍医のドナルド・サザーランド(キーファーのお父さん)が主役。

彼は腕は超一流だけどひたすら悪戯と悪ふざけに燃えている 笑 

そんな彼らの体制への反抗記といった映画だ。

上官同志の不倫現場にマイクをしかけ、実況中継するとか 笑 やることがいちいちくだらないのだけど、戦争という異状な状況の過酷さの中、無神経とも思える程のユーモアと仲間との悪戯が、彼らを活き活きとさせていていく。

かなりのブラックユーモアづくしで、悪趣味で性差別的な表現も多々あるので好みは分かれると思うが、ロバート・アルトマンの容赦ない徹底的な描写がインパクトを残す。無礼で悪趣味な彼らVS偽善に満ちた上官達の構図が分かりやすい。

ルールや評価ってそもそも誰が決めたことなのだろう? 

そんなことをこの映画のハチャメチャな奴らを観ていると思い起こされる。

人がアウトローに魅かれるのはなぜだろうか。

私たちは生まれてからずっと評価ばかりされて生きている。

小中高大、社会人と人と比較され、評価され、その枠組みの中で自分の立ち位置を自分で限定して、あたかも他者が規定した評価の中を当たり前のように生きている。

映画もまた賞レースの影響も否定できず、Filmarksもいわば評価を基準に成り立っているけれど、映画を好きながらにして、映画を評価することによって、本来の衝動、感動といった感情の源泉からかけ離れてしまう背反性に満ちている。

だからレビューではなく感想を書きたいという方が多いのも頷ける。

そもそも映画のキャラクターになぜ魅かれるのかって、そんな誰が勝手に作ったかもしれぬ評価やルールという枠組みの外で生きている(或いはぶち壊している)人間の魅力や生命力や迫力にこの上なく心揺さぶられるのだと思う。

実際、私たちのこの社会でも何が正しいのか、何が間違っているのか。何が良くて、何が悪いのか。そんなものは全部、誰が決めたのか、どこから見るのか? によって全部変わってしまう。

そんな不安定な評価に私たちは常にさらされ、振り回されている。そしてずっと人生が続く限り、そんな不安定な評価と隣り合わせだ。

それを覚悟した上で、他人の評価軸以上に自分の直感や衝動を信じ、信念を強く育てながら選択し続けるしかない。映画はそのヒントになり得ると常々思っている。

こんなこと言ったらどう思われるか、これであっているのか、正しいのかといったそんな評価から逸脱しても、俺はそれでいいさ、と映画の中の彼らのように、ただその瞬間に熱狂的に生きている人間の衝動に、揺さぶられるのだと思う。

映画を評価し、人を評価し、ぐるりと回って自分を評価し、という脳内360℃評価思考から離脱して、面白かった、楽しかった、悲しかった、嬉しかった、悔しかった、感動した、泣けた、震えた、気持ちよかった、興奮した、そんな心の内奥の衝動性を刺激させてくれるのが映画で、それをダイレクトに受け取り、ダイレクトに表現しているレビューを観ると、それがストレートに伝わってくる。

次男に映画の感想を聴くといつでも「超面白かった!」であまりの語彙力の無さに愕然とするのだけど、彼の頬は紅潮し、興奮はダイレクトに伝わってくる。そもそも、いつの間にか、彼の純粋な感受性を評価している自分の無意味さに気づかされる。むしろ彼の方が映画を全身で楽しんでいる。比べて、だいぶ自分は理性で後付けでこねくりまわしてしまったぜ!と反省させられる。

それを考えると日々のレビューも「いや、マジで、超面白くて、ビビった!以上!」の方が伝わるのかもしれない🤣たまにそんな衝動100%レビューも織り交ぜていこうと思いつつ今回もやけに理屈っぽい話になってしまった。反省して、B,zの衝動でも聴こうかと思う。