暑い夏の1日。
ブルックリン。
不道徳。差別。
人種が問題ではない。
人としてどうなのか。
それが問題だ…。
80s傑作選。80年代後半この作品からスパイク・リーの人気に火がついた。こぞってこの映画を見たものだ。人種差別、根底に流れるテーマ。それに当時異存はなかったし、溢れ出す会話劇の熱さ、画面に満ち溢れるパワーに圧倒された。
だが年をとり、再び今作を手に取った時、視点が変って少し考えは変わった…。
真夏の暑い日、主人公ムーキーはイタリア系のサルが黒人街で経営するピザ店の仕事に今日も向かう。ブルックリンの街の変わらない1日が過ぎていくはずだった。だが…
この題名は皮肉すぎる。人として正しい行いをしろ。ほぼ登場人物はすべて人として間違っているとしか思えない。暑い土曜日の街の1日が描写されている中で不寛容が露骨に表現されていく。
登場する人種はブラック、イタリアン、プエルトリカン、コリアン、そして警官という名の白人。
ブラックでまともに働いていそうなのは、主人公の妹のみ。主人公は明らかにやる気もなく、子供がいるにも関わらず責任も果たしていない。他には爆音を上げるラジカセを持って歩き回り、店に入る奴。イタリア系の店なのに黒人の写真がないと怒るヤツ。暑いからといって消火栓を壊し水をぶちまく奴、目上のものに敬意すら払わない奴と成功した別人種を僻む奴、枚挙に暇なし。またそんな黒人をあからさまに見下す白人や韓国人。
いらいらする会話の押収が続き、唯一マトモな1人がキレた時、爆発するわけのわからないパワー。最悪だ…。
黒人は黒人で差別されているから、自分達の街で何をしてもいいわけではない。一方的な主義や権利の主張は間違っている。また差別は良くないが、自らは正しいことをしているのか?誇りを持てるような人であるのか?相手をおもいやっているのか?相手がどうであれ、人種など関係なく、人としてどうかを実は突きつけてくる作品なのではないだろうか。黒人よ誇りを持てと。
勿論差別が根底にはある。だがそれのみに終わらない厚みのある話なのだ。市長を名乗る老人は、品行方正ではないが、まだ分別があった…。彼の視点に近くなったのだろう。
ダニー・アイエロが唯一まともなイタリアン、サルを好演している。彼に起こる悲劇がいくつも、アメリカには起こっている、差別意識の循環が。そう思えるラストだった。