映画漬廃人伊波興一

母なる証明の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

母なる証明(2009年製作の映画)
3.1
毒に染まった母性は、たとえ十の中にイチの可能性しかなくとも、そのイチには賭ける価値がある、と蛮行に踏み切る

ポン・ジュノ『母なる証明』

最近、認知症の診断を受けた私の母は、かつてひとことで言えば暴君でした。
最近知った言葉を借りれば(毒女)に当たる女性でした。
虚栄心と自尊心と自己中心で固まっているような女性でした。

小規模ながら事業主夫人だった時期は父を抑えて従業員や親交のある業者さん達に連日、何の理由もなく、その日の気分次第で激しく叱責したり、命令したりしてました。
加えて嫉妬心が恐ろしい程強く、自分より小綺麗で有能な女性職員に機嫌が良い時は(私に至らぬ点があればご遠慮なくお申し出下さいね)と下手に回る一方で、いざ図星を指摘されると人格が入れ替わったように相手に辛く当たりました。

当時私はその事業で番頭めいた役割を担っておりました。
母のハラスメントのおかげでノイローゼ、血尿、頭痛や吐き気などで私に相談してくる従業員の方々が後を絶ちませんでした。
もちろん自主退職された方もいます。
今から考えればよく自殺者が出なかったものだと思います。

(たとえ今、不慮の事故に遭ったり、それどころか誰かに殺されたとしても、一人として憐れむ者などいないだろうな)

実の息子の偽らぬ、当時の気持ちでした。

母の暴君の最初の犠牲は他ならぬ私だったからです。

幼い頃の私は母から連日のように身体的、精神的虐待を受けてました。
苦しみを父に相談すれば母親から怒られるような事をしたのか!と重ねて私を責めました。
当時の二人は本当にそれが(しつけ)とか(教育)と認識していたかもしれません。

同時に母はまた、人一倍同情心の強い女性でした。
自身が障害を抱えた弟を長年世話してきた故か、様々な理由で社会に馴染めむ者には理由もなく手厚い対応をしてました。
そんな方を雇用するという話まで及ぶと相殺手段として以前から働いている従業員の給与を減らし人件費のバランスを図ったり、少々舌鋒鋭いだけで(生意気だから)という理由づけで有能な職員を閑職から退職にまで追い込むという蛮行をいつも繰り返してました。


一本の映画を語るのに個人的な事を引き合いに出したのは、韓国の名女優・キム・ヘジャ演じる母親の決断を見て自分の母なら躊躇わずに同じように踏み切るだろうと思えたからです。

たとえ十の絶望の中に一の希望だけでも見えたのなら、息子の冤罪を被った目の前の無実の少年を救おうとはしない。

世の習いとしての、往古からのしきたりとしての、あるいは単なる遺伝子の伝承として息子ウォンビンを授かったわけでない彼女にとっては自分の生は我が子の生のなかにしかありえないからです。

他人の犠牲も厭わない自己中心的なキム・ヘジャの母親像は色々な意味で自分の母と重なります。

しかし劇中の息子ウォンビンと同様、石灰石のように溶けやすい子供を溶食して出来たカルスト地形のように揺るぎない母性という名の磁場から容易く抜け出せる訳もない。

これが母の愛情というひとことで片付けるにはあまりに生々しいキム・ヘジャは、その端厳な貌(かお)の半分に残酷な微笑を堪えながらも、如何様にでも考えられる深い沈黙を守っているのみです。