ろく

の・ようなもののろくのレビュー・感想・評価

の・ようなもの(1981年製作の映画)
3.9
森田芳光ウィーク第3弾。久々に観たけど、なんとも面白い映画だなぁと。

中身は森田ならではの「コミュニケーション」の問題なの。いや、そもそも人間に「主張」なんかあるのかって問題ね。よくあなたのことがわからないなんてセリフがあるけど、そもそもそんなに簡単にわかってたまるかと言う問題なんだよ。それを単純化して性格を「共感」しやすいようにすることに対し森田は否と言うの。森田にあるのは(わかりやすい)「共感」でなく、ただ単純な「他者」なんだ。

そして「他者」だからこそ、相手の事は分からないし、でも「わからないこと」を認めることこそ森田映画の醍醐味なんではないかと見ていて思ったんだよ。伊藤克信は決して秋吉久美子のソープ嬢や言い寄ってくる高校生のことをわからない。でもわからないのは秋吉も高校生も同じ。そして「わからない」からこそ、相手を傷つけたり、その一方で自分が傷ついたりする。伊藤は傷つきながらも小金餅のくだりを語り東京を歩く。でも決して「傷ついた」とは言わない。それは自分のことだから。そう、相手のことをわからないからこそ自分も相手に「わからせない」。

僕らは「僕ら」でなく「ようなもの」でしかないんだ。そんなに簡単にわかったまるかってーの(というかわかられてたまるかだ)。そしてその気持ちはこの時代に僕が思っていた気持ちと同じかもしれない。

ひたすら軽薄で軽くて、でも自分を出すのが怖くて(というか自分を自分ですらわからないから)、ただただ表層を歩いていく。田中康夫は「なんとなくクリスタル」でそんな気持ちを書いていたけど、映画ならそれを森田が描いていたんじゃないかって夢想する。80年代というバブル黎明のころの生きづらさ(そして快適さ)。それはバブルが崩壊するまでそうだったかもしれないと。

伊藤の落語は信じられないほど下手だ。でもその下手さもまたこの時代を生きた「証」なのかもしれない。
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