かすとり体力

の・ようなもののかすとり体力のレビュー・感想・評価

の・ようなもの(1981年製作の映画)
4.1
【妙に考えるところが多い作品で、かなり長くなっております。「続きを読む」をクリック頂く方はご留意ください🙇‍♂️】

日本映画界のレジェンドの一人、森田芳光監督の劇映画監督デビュー作品ということで前々から気になっていたもの。
(私にとって、日本産スリラー映画の最高峰『黒い家』の監督という時点で極大のリスペクト対象)

とは言え、色々な方のレビューを観るに、「内容がない」「何も起こらない」「だから?みたいな映画」といったディス寄りの評価も目立ったため、「まぁ、こういうのはお勉強ですし・・・」というあまり期待のない状態で鑑賞。

が。

結果して、ものすごい良かったです。

誓って主張しておきたいのが「森田監督作品だからなんとか褒めんと!」みたいな意識はゼロです。

純粋に、ものすごい良かったんですよ。
マジで感動してしまったんです・・・。

いやーとても難しいのが、上述の色々な方のディスりコメント、まっじでその通りなんですよ笑
特に大きな事件が起きるでもなく、主人公が大きく成長するでもなく、ほんと「だから何なん」みたいな感じで笑

でも、ものすご良かった。しかもその良さが私もうまく言語化出来ていないという。厄介です。

ただ、鑑賞後3日経っている現在、この作品のことを頭の片隅でぼんやりと考えているうちに、ここがこの作品の魅力なのかな、というところが朧気ながら見えてきた気がするので、頑張って述べてみます。

やっぱりね、本作は「青春映画の傑作」なんですよ。

ただね、世に青春映画は数多あれど、本作の青春の切り取り方、青春への意味づけの仕方、即ち「青春の抽象化」の視点がすごくオリジナルなんだと思うの。

よくある青春映画における青春の描き方って、
「主人公が他者との関係性の変化に苦悩しつつ、最終的には成長していく物語」だったり、「無限の選択肢を持った『若者』が、選択(これ即ち「他の可能性を捨てる」ということ)を行い『大人』となっていくことの覚悟を描く物語」だったり、いずれにしても「大人(成長)という立場から意味付けした青春」という視座のものがほとんどだと思う。

そこに来ると本作、圧倒的に「大人から振り返る視座」がない。言い換えると、「青春というものに対する意味づけ」が欠如しているんですよ。

この「青春というものに対する意味づけ」が脚本に落とし込まれたものが「ストーリー・物語」であると考えると、本作の「内容がない」「起伏がない」「ストーリーがない」という評はもう本当にその通りなのであります。

そこをどう見るかが、本作に対する評価の分かれ目だと思ったものです。

本作のオリジナリティーは、「多くの人にとっての「青春」は、特に抽象化したり意味づけしたりする必要はなく、ただただ我々が人生の一時期を消費してきただけのものである」というメタ的な「抽象化・意味づけ」をしているところではないかと。

だって、よくよく考えるとそうですやん。。

我々、人生における青春の一幕を通じて、「成長しよう!大人になろう!」みたいな意識で過ごしてないですやん。。

青春期なんてものは、人間関係含めた周囲の環境変化等の中で、悩みつつも当たり前の日々をやり過ごしながら、言うなれば「無為」な日々を浪費しつつ、まぁ大人になって振り返ると、「まぁ色々悩んだりしたけど、結果的には大切な一時代だったな」と、後から思うようなものじゃないでしょうか。

そうなんです。
繰り返しになりますが、「成長するための期間」「大人になるための期間」という意味づけをされたものとして、我々は青春時代を体験していない、ということなんですよ。

そのときはただただ当たり前の日々を消化しながら、後で仰ぎ見るに「青春だったな」と思う時代、それが青春なんですよ。

という視点で見た場合、どうでしょう、本作が描くこの「青春」の「身も蓋も無いリアルさ」。

惚れられた風俗嬢に最後に男を見せるわけでもない。
落語がうまくなるために一生懸命努力するでもない。
コミュニティ内での社会性の獲得に向けて過度に悩むでもない。

こういう、「実は人生において、何か美しい意味があるわけでもない(しかし後で振り返るに何か得体の知れない意味はありそうな)青春」というものを、そのまま我々の眼前に「どんっ!」と投げつけてきているのが、本作の魅力だと思ったわけであります。

そう考えると、とある落語の演目からとってきたという本作タイトル「の・ようなもの」というのも言い得て妙なもので。

先から述べてきている通り、青春なんか、「こういう存在になりたい」みたいな合目的的なアプローチを仕掛ける対象ではないわけで。

「恋愛ってこうなのかな」「学生ってこうなのかな」「大人ってこうなのかな」みたいに、見様見真似、自分なりのロールプレイをしながら生きていくのが青春時代。

つまり我々は青春時代を通じて、「恋愛の・ようなもの」を経験したり、「学生の・ようなもの」の行動様態をなぞってみたり、「大人の・ようなもの」を演じながらカッコ良さげな行動をとってみたりするという。

つまり、やはりタイトルからして、本作は青春映画的としての矜持を示しているように思えるということです。
(そういう意味では今の私も「親の・ようなもの」を頑張っていて、そういう意味ではこれも一つの青春なのかもしれないと思ったり)

以上、一気に書き上げてしまいました。

ちゃんと言えているだろうか。。
とりま、結構かけがえのない作品となってしまった気がする。

最後に2点各論。

森田芳光監督の特徴の一つ、「クセ強演出」について、存分に堪能できました。
こういう既存フォーマットを逸脱しようとする行為自体が好きなので、とても楽しめた次第。
ただ、作品の中で必然性のあるものとして機能していたかというと、答えがない。
ま、「必然性」とか言い出した時点で負けな領域の気もするし、充分楽しめたので良しとしたい。

2点目。
役者も全体的にすごく良かったが、秋吉久美子の綺麗さよ。アホのごたる表現となるが、「セクシー過ぎる」。
冒頭のシーン、普通ぅに観ていて照れてしもうた笑

以上です。
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