YasujiOshiba

スターシップ・トゥルーパーズのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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U次。24-65。なぎちゃんと。ぼくは2回目。この映画は曲者だ。そのまま楽しんでしまえば単なるファシスト礼賛。映画だから楽しませてもらってよいのだけれど、当時の評論家は腹を立てた。たとえば「スターウォーズが人間的な作品だとすれば、こいつは全体主義映画だ」(if Star Wars is humanist, Starship Troopers is totalitarian.)のような批判。

たしかにそうなのだ。でもそんなふうに見てしまうと、表面的なナラティブをそのまま受け入れているだけ。その裏側には全体主義、あるいはファシズム・ユートピアがある。ヴァンホーヴェンは、それを描ききることで、ゾッとさせてやろうとしている。それがこの映画の第二のナラティブだ。

たとえば「唯一のよいバグは死んだバグだ」(The only good bug is a dead bug)は、インディアン戦争のさなかに米軍の大尉が言ったとされ、その後人種差別主義者が繰り返した「唯一のよいインディアンは死んだインディアンだ」という発言のパロディ。

バグの見かけに騙されてはならない。あれは知性を持った生物なのだ。恐怖を感じることができる生き物なのだ。その恐怖を、恐ろしげな怪物として現れるブレイン・バグから、あのSS将校さながらのカール・ジェンキンス(ニール・パトリック・ハリス)が読み取ると、周りの兵士たち全員が大笑いする。でも、もしもぼくらがこのシーンに、1ミリでも一緒に笑いたくなったとしたら、ぼくらもまた心のどこかであのファシスト・ユートピアを待望しているということになってしまう。

だからあのシーンはめちゃくちゃおそろしい。ナウシカを思い出せば良い。ブレイン・バグは王蟲なのだ。虫たちは世界を清浄にしてくれているのだ。その虫を殺せばどうなるのか、考えただけでも恐ろしくなることが、起こっているぞ、そういうナラティブなのだ。

「唯一のよいバグは死んだバグだ」というセリフの恐ろしさはそこにある。ところがだ。この《唯一のよい「***」は死んだ「***」だ》というファシズムユートピアのフレーズは、しかしながら、今の時代にあって、あちらこちらから、声高に叫ばれているのが聞こえてくる。ヴァンホーヴェンが半ばパロディとして、終わったのものとして描こうとしたものが、思いもかけず復活してきているという、その恐しさ。

彼の言葉を引用しておこう。「戦争によって、わたしたちはみんなファシストになります。[...] もしも、アメリカでここ数ヶ月において作り出された状況と比べるなら、予言だとは言いませんが、スターシップ・トゥルーパーズは、わたしたちが思っていた以上にシリアスな映画になったのです」(2017年11月のインタビュー)

https://www.digitalspy.com/movies/a823951/starship-troopers-paul-verhoeven-donald-trump-20-years-anniversary/

いやむしろ、ガザを遠くから目撃している2024年のぼくたちからすれば、『スターシップ・トゥルーパーズ』のファシズム・ユートピアは、ほとんど実現しかかっている。そこに住む「Citizens」からすれば、ぼくらは「Civilian」であり、それどころか、バグにさえ見えているのかもしれない。

ちなみに Citizen は法的にその都市に属することが認められた個人。ここではファシズム・ユートピアの市民として都市 city を防衛する義務を果たすもののこと。都市 city は守るべきものであり、そこから要塞 cittadella となるべきもの。

一方で civilian は、軍人でもなく聖職者でもない個人のことを。civile とは人が集住することを指すことば。森から出てきて都市生活に入ることが civilizzazione (文明化)と呼ばれるように、人が集まってうまくやってゆく技術や人間関係(礼節)のこと。

対立することばが森 silva なのだけれど、ここからできた言葉が野蛮 selvaggio 。バグは砂漠に住むけれど、それは森とおなじで、 selvaggio な生き物だということ。

けれども、本当に野蛮なのはバグなのか。本当に人間の生活を守るものが軍事都市 città なのか。むしろ軍事都市が引き起こす戦争によって、礼節を重んじて文明的な生活を営む人々 civilian が、あのファシストのような暴力的で野蛮な都市の防衛者 citizen へと堕落させるのではないのか。そちらのようが、よほど野蛮なのではないのか。いや、自然状態の野蛮ではない。森を出て、その森という自然そのものを、破壊するような野蛮!

いやはやこの映画、じつに政治的で現代的だ。リアルなパラブルなのだけど、それゆえに、くつろいで楽しみながらも考えさせられる。なにせ映画の外の今の現実があれなのだ。映画が映画であってくれればよいのに、ありえないものとして描いたファシスト・ユートピアが、映画の外に見られるようになることには、めちゃくちゃ憂鬱させられてしまうのだ。
YasujiOshiba

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