杜口

2001年宇宙の旅の杜口のレビュー・感想・評価

2001年宇宙の旅(1968年製作の映画)
4.7
家で見たときはふ〜んって感じだったけど、今回IMAXで視聴したら、印象が思いっきり変わってしまった。

真っ暗な闇、闇。宇宙に画面と壁の境目は消え失せ、闇が開く。
蓮實は、闇が闇として露呈していたのは2001年宇宙の旅が最後と語ったが、2001年の闇は、真空なので空気遠近もなく、天体の大きさもわからんため、距離の判断などできない。そこには、ただ遠近感の無い平たいとも深いとも言える空間が広がる。

だから、品川プリンスで見たんだけど、見終わってから人に溢れる品川駅を見た時、不思議と、どの人が近いのか遠いのかよくわからず、遠近感が無いように見えて異様だった。そんぐらい、凄かった。

でも、映画はずっと遠近感が無いわけではなくて、あのスターゲイトのシーン。遠近感の無い空間に突如、光が遠近法に従った流れで凄まじい速さで駆け抜け、深い空間が瞬く間に形成される。
これがテレビだとふ〜んだったのが、IMAXだともう幻惑されちゃって、凄いのなんの。こりゃ、ヒッピーも最前列でキメながら鑑賞するわな。

といった感じで、書いたわけですけども、もう一つ書きたいことがありまして、今作は完璧主義者たるキューブリックだからこそ、SF映画の限界が露呈している作品だと思うんですよね。

まず、SFの魅力は見たことのないビジョンをみせるともに、今現在の人類にとって未知なものを、ある種私たちに解説するかのように、科学的に理性的にみせることにもあると思う。
が、しかし映画はその解説にかなり向かないメディアなんだよねえ。

例えば、本来2001年宇宙の旅にはナレーションがあったが、キューブリックの意思で直前に消されることになった。それが、もし付いていたらどうだっただろう。たちまち、映像の快楽は薄らいだに違いない。
しかし、ナレーションが無くなったがために、映画を見ただけではとても内容を把握することは不可能な作品となった。
つまり、未知なるものを科学的に理性的にみせるSFの魅力の1つが無くなっちゃったってこと。

これは、シネラマというどでかいスクリーンで上映することを前提としていること(シネラマは最初はローラーコースター映したりとか、アトラクションみたいな体験的な映像を上映することが多かった)や、後半のサイケデリックなシーンからも分かる通り、体験的で原初的な映画体験を目指す方針と、SFというジャンルが持つものがぶつかったがために、現出した欠陥に他ならない。

これは、今作を乗り越えることが、SF映画の最重要課題であることは間違いないですね。
杜口

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