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牝犬のryosukeのレビュー・感想・評価

牝犬(1931年製作の映画)
3.7
 本作のミシェル・シモンは、家庭に居場所がなく勘違いして若い女に入れ込むおじさんという役柄にピッタリのリアルな存在感を有していた。妻役のマグドレーヌ・ベリュベも、ミシェル・シモンの暴走の原因となるのも納得の神経に触る発話が印象的な好演だった。デデを演じるジョルジュ・フラマンについても、カード遊びの際の神経質に小刻みに首を振る動作や、躊躇いなく手が動くビンタの瞬発力、突き返すようなキスが記憶に残る。終盤の展開の中で、予審判事に対する慇懃無礼な笑みや法廷で演説した後にへたり込んでしまう様子など、自信家の彼の全身から人間の臭いが湧き立ってくるようで魅力的だった。
 デデがリュリュに対して肖像画を書くように説得するシーンの、ただただ外形的にダンスであるだけのダンスが面白い。踊っているように見えて、その体には詰め寄るような緊張が走り、色気のないカメラがぎこちなく揺れながら延々と付き添う。二人の関係、愛の不在が、ダンスシーンという本来映画において愛の描写として活用されるシーンで示される面白い演出だった。
 殺しのシーン。どこからともなくマンションの前に人々が集まってきて歌を歌ったりしている光景が運命的な印象をもたらす。リュリュの嘲笑に対して「そんな風に笑うな」と呻きながら体を押さえつける描写の悲痛さ。ベッド上に置かれたナイフの輝きと窓の外からの控えめなショットだけで全てを示すのは上品だな。
 全体的には、映像的にも脚本的にも起伏がなく、淡々とした真面目な作りという印象で、何本見てもルノワールはピンと来ないなという印象が強まったが、ラストシーンの浮浪者二名の冗談みたいな邂逅、この何らの心理的葛藤の無さはある種の凄みがあるなと思った。これで終わるのか。裏切りが発覚した夜に、さりげなくリュリュと初めて出会った階段を通過する演出が施されていたが、ラストシーンでも、主人公は自分の絵が飾られていたショーウインドウの前を通り過ぎる。しかしその悲哀については何一つ言及させず、主人公に小銭を拾わせるのはある種の美学だろう。
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