だいすけ

ワンダフルライフのだいすけのレビュー・感想・評価

ワンダフルライフ(1999年製作の映画)
3.5
ファンタジーをドキュメンタリーの手法で撮るという斬新な試み。是枝監督による映画に関する考察という趣がある。

意識的にフィクションとドキュメンタリーの境界を曖昧にしているように感じられる。それは、例えば素人なのか役者なのか判然としないキャスティングに表れている。あるいは、どことも知れない舞台の現実感/神秘感。黄泉への経過点にしては妙に味わい深い一方で、光と陰影の使い方によって神秘的に見せているシーンもある。

映画に関する自己言及性に富んでいて、それは先述した手法的な試みについても言えるし、さらには映画制作の意義にまで突っ込んでいる。寺島進の「俺たちがやってることって意味あるのかな。死んだ人間の思い出を再現して」という発言は、そのまま映画を撮ることの意味を模索する監督の心情の表出のように思える。僕は映画畑の人間ではないからよく分からない。ただ、どこまで丹念に撮ったって、現実の全てを掬い上げることはできない。この映画における思い出のように、必ず排除される部分がある。一つしか思い出が選べないのはある意味では残酷だよなと思ったけど、それと同じことが映画についても言えるのではないか。原体験に敵うものはないと。だとしたら、やっぱり映画を撮るという作業は、映画を観せることが前提にあって価値を持つのかなと思うところもある。そうなると、「再現」のように見えていた行為が実はより本質的な役割を果たしているのだと感じる。でも、是枝監督が後年になって亡くなった母親との思い出を「歩いても歩いても」として映像化している事実はどうだろう。思うに、これは監督にとってのグリーフワークである。だとすれば、映画を撮るということは、映画監督にとっては「観せる」という目的の前に、思考のプロセスを確認・整理する作業でもあるのかなと思う。

良い思い出って何なんだろう。先述の寺島の印象深い台詞は両義性を秘めているように思えていて、映画の価値を問う自己言及的な意味合いだけでなく、思い出自体の意味についても触れている気がする。死んだ人間の思い出を再現することに対する疑問は、生きている人間にとっての思い出の意味を逆説的に提起しているのではないか。思い出を拠り所に生きている人間は少なくないように思える。良い思い出があるからこそ、辛い現実を何とか踏ん張って生きられる瞬間がいくつもある。伊勢谷が指摘したように、思い出はときとして未来を生きることの妨げになることもあるが、それでも人間が生きていく上で大事なものなのだろう。


【雑記】
途中、本来のインタビュアーとインタビュイーが逆転するシーンがあるが、この時点で井浦新が辿る運命、すなわち映画の結末も決定的となる。ラストシーンでは、それを再確認するように同様の逆転が起きる。
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