KITAYUMASSACRE

マチネー/土曜の午後はキッスで始まるのKITAYUMASSACREのレビュー・感想・評価

5.0
キューバから171キロの距離にあるアメリカのキーウエストという街が舞台の青春ジュブナイル映画。1962年の10月14日から28日の物語だ。そうアメリカとソ連が核戦争一歩手前まで行ったキューバ危機が始まって終わるまでの話なのだ。
キーウエストという街にはいつ核ミサイルが飛んできてもおかしくなかった。そんな時に街にやってくるジョングッドマン演じるB級ホラー映画の興行師(であり映画監督)。果たして核戦争という現実の恐怖を前にしてB級ホラーごときが意味を持つのか?という問いかけに対してこの映画でジョーダンテと脚本のチャーリーハースは大きな意味が絶対にあると宣言する。
それは映画に限らず、我々が恐怖を表現するのはなぜかということでもある。我々が恐怖を芸術として自ら作り出して鑑賞するのは、それが恐怖に対抗する一つの手段だからである。我々がホラー映画を見る時、我々は恐怖に直面する。その時体験する恐怖は疑似体験なので肉体的には安全なものだが、心理的には現実の恐怖と変わらないくらいの恐怖を生み出すことができるのではないだろうか?例えばエクソシストを見た観客はあまりの恐怖に気絶してブッ倒れてしまった、等。
「マチネー」に出てくるホラー映画「MANT!」(マンとアントを組み合わした言葉。つまり人間と蟻が組み合わさる映画)は今見ると全然怖くない架空のB級ホラーなのだが、その代わりジョングッドマンの興行師は今で言う4DX的な視覚以外の感覚を刺激する装置で観客を飛び上がらせる。映画から飛び出してくる恐怖に60年代の無邪気な観客たちは大喜びである。おそらくその喜びはジョーダンテの実際の喜びだったのだろう。
そう、ホラー映画は恐怖を楽しみ、喜ぶことができる。ホラー映画を好きな人は怖がりではないと思われているが、実は怖がっている。しかし怖がることを怖がってはおらず、それを楽しんでいるのだ。なぜならそれは現実の肉体が損壊するものではなく、ヴァーチャルな体験だからである。しかしそのヴァーチャルな体験で恐怖を楽しむことができれば、恐怖を怖がらないでいることができれば、現実の恐怖に直面した時にただ立ちすくむのではなく、立ち向かうことができるのである。
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