Kuuta

フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラのKuutaのレビュー・感想・評価

3.8
東宝特撮の一つの到達点。

ブラピが子供の頃好きだったとか、タランティーノがキルビルvol.2の格闘シーンの教材として出演者に見せたとか、進撃の巨人の元ネタの一つとか。エピソードには事欠かない、国内外で高い人気を誇るカルト作だ。

▽怖い怪獣映画
怪獣映画の禁忌とも言える「人喰い」を繰り返すガイラ。人型の造形も相まって、追いかけ回しては人を鷲掴みにするビジュアルのインパクトが凄まじい。

海を泳いで逃げる船員を追い詰める場面の、絶妙なガイラのサイズ感が恐怖を煽る。海の底から人間をじっと見つめているシーン、地引網がじわじわ引っ張られるシーン、食べた人間の服をペッと吐き出すシーン…。

▽人型vs人型
前作で水野久美に育てられたフランケンシュタインが、サンダとして登場する。

日本神話の「海幸彦と山幸彦」(浦島太郎の元ネタ)がベースにあり、荒ぶる神としてのガイラと、鎮める神としてのサンダが戦う構図。人間にとってそれは天災であり、台風に巻き込まれたように家屋が崩れていく。

ずんぐりむっくりな「怪獣」同士が戦うと、俊敏な格闘は難しく、良くも悪くも「プロレス」的な見栄を切り合う展開が多くなる。

これはこれで好きなのだけど、今作はシャープな人型同士の対決。殴り、首絞め、のしかかる。一切の緩さ抜きに、全力で戦っている生々しさが出ており、建物のミニチュアをめちゃくちゃに壊していく特撮的な快楽との親和性も高い。

出自が違うだけでDNAは同じ、サンダとガイラ。サンダは水野久美に育てられたので攻撃性が低いが、ガイラは弱肉強食で人を食べるのも当たり前。この、今更どうしようもない差が兄弟の戦いの原因になっており、セリフ無しでも切なさが存分に伝わってくる。

▽自衛隊描写
平成ガメラ三部作の金子修介監督、或いはシンゴジラのような、無駄のない自衛隊描写が光る。役割分担や階級差が明確で、テンポ良く会話が積み重ねられていく。怪獣の「正式呼称」を決めるシーンも、怪獣映画史上初では?

また、東宝特撮お馴染みの「メーサー砲」の初登場作でもあり、次々に木をなぎ倒していく特撮シーンは絶品(あまりに出来が良いので、後のゴジラ映画で流用されまくる)。

▽ストーリーの難点
サンダとガイラの悲しい戦い自体は十分に描けているが、人間と怪獣の関係の掘り下げは弱い。

前作レビューでも書いたが、人間の欲望がフランケンシュタインを生み出したにも関わらず、彼らは人間社会から一方的に敵視される。

それを受け止める「母性」として、水野久美のキャラクターが前作では機能していたが、今作の彼女はラス・タンブリンとのパッとしない恋愛に時間を割かれており、物足りなさが残る。というか、ラス・タンブリンの演技が明らかにテキトーで、全然やる気が感じられない。

(町山さんは、軍事描写を淡々と描きたい本多猪四郎と、水野久美のドラマをやりたい馬淵薫の脚本が分離したまま映像化されていると指摘している)

外国人ネタで言うと、長々とデパートの屋上で歌謡ショーを続ける白人女性のシーンの謎は未だに解明されていない。そもそも歌下手じゃねえかこの人…?
ガイラが彼女の後ろに程よいタイミングで現れた所は怖かったし、女体を鷲掴みにする感じはキングコング風味なのだろうが。日米合作な事もあり、米国側の映画会社の偉い人の愛人説もあるとか。

▽核の炎はどこへ?
これは私の前作の解釈にもなるが、サンダは自らを迫害する日本社会を恨む事もなく、水野久美という親を守ろうと、日本のために戦う。一方のガイラは、明らかに女性を集中的に襲い、日本を破壊していく。

羽田空港の襲撃シーン。滑走路を全力疾走してくるガイラのビジュアルの恐ろしさもさる事ことながら、ターミナル屋上に設置された鳥居を壊すカットは意味深に感じた。ガイラはここまでやるんだなぁと。

ガイラを追い払うために街の電気をつけたり、逆に刺激しないために電気を消したり。この辺は灯火管制のメタファーなんだろうなと思った。ガイラ対策のため、あちこちで炎を燃やす農村地帯。ガイラによって戦争の風景が蘇っている?

原子爆弾の炎によって生まれたサンダとガイラ。両者は最後に自然の炎に吸収されたようにも見えたが、人間サイドは何も変わっちゃいないし、これで問題が解決したとは到底思えない。

お馴染みの教訓台詞すら無く映画が終わってしまうその唐突感が、かえって人知の及ばない神様感というか、不気味な余韻として残った。76点。
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