パングロス

一人息子のパングロスのネタバレレビュー・内容・結末

一人息子(1936年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

◎信州の母子家庭からの進学、敗残の東京物語

*1936年、小津の初めてのトーキー劇映画。
同年、小津は、歌舞伎座で六代目菊五郎が演じた鏡獅子の記録映画をトーキーで撮っていた。

*原作のゼームス・槇は小津の物書きとしての変名。
池田忠雄・荒田正男の脚色。

*タイトルバックかな、冒頭で、フォスターの「オールド・ブラック・ジョー」が流れる。
昭和11年当時はアメリカが敵国という意識もまだなかったんでしょうね。

*キャスト、スタッフクレジットのあと、芥川の『侏儒の言葉』から下記のエピグラフが出る。
「人生の悲劇の第一幕は親子になったことにはじまってゐる」

序盤、1923年の表示。
信州の製糸工場(*)。
何らかの訳あって女手一つで働きながら子育てしている野々宮ツネ(飯田蝶子)。
*『ディス・マジック・モーメント』(2024.3.19 レビュー投稿)に、
「上田は昔から養蚕で栄え、旦那衆たちが映画人を招いて映画製作を支援する文化的伝統が根付いていた。黒澤の地方ロケは上田が初めてだったし、小津のトーキー第一号も上田でロケされた」(上田映劇 原悟さん談)というエピソードがあった。本作の信州ロケは上田で行われたことになる。

一人息子の良助(葉山正雄)が中学に行きたいと言うと、ツネはすげなく無理だよ、と応える。

他日、ツネのもとに、良助の小学校の担任、大久保先生(笠智衆)が尋ねて来る。
成績の良い良助の中学行きをよくぞ認めてくださった、と礼を言われる。
これからは教育がないと社会に出てもいかんですからなぁ、
と言いながら大久保先生去る。

何でダメだと言ったのに、あんなこと先生に言ったんだい、断って来なさい、
とツネ。

ややあって、思い直したツネ、
やっぱり、お前、中学に行きなさい。

1935年の表示。
信州のツネのもとに、東京に出て就職した良助から手紙。来年、上京することを考える。

1936年の表示。本作、公開の年である。
教師になった良助(日守新一)が生徒たちに数学を教えている。
*後のセリフで、彼は東京で(中学校の?)夜学の教師となっていたことがわかる。

良助の家は、東京の場末の借家。
貧乏暮らしだが、良助の趣味なのか、Germany の文字があるポスターの一部や金髪美人の絵が襖の穴塞ぎか、貼り付けてある。
ドイツなどの西洋映画のファンらしい。

この家にツネが訪ねて来た。
妻杉子(坪内美子)を紹介。
「僕、結婚していたんですよ。知らせようと思ったんですがね」
挨拶する杉子。
キョトンとしながら、挨拶返しするツネ。

家の一室では幼な児が寝ている。
襖には、東京に出て来ている大久保先生(笠智衆)からもらった夜泣き封じのおまじない、大津絵「鬼の寒念仏」を逆さにして襖に貼ってある。

良助は、職場で同僚から少しずつ金を借りる。
母親をもてなすための資金にも事欠いているからだ。

1933年のオーストリア映画『未完成交響楽』を上映中の映画館。
客席に、良助とツネ。
「これがトーキーってやつですよ」
自慢げに言う良助の言葉に、よくわからない感じで頷くツネ。いつの間にか、居眠りコックリ。

家に戻ってくると、夜泣きラーメンが通る。
呼び止めて、注文。
これも、はじめてでしょう、なかなか旨いもんでしょ、と自慢げな良助。
*母子揃ってラーメンをすする様子は、小津あるあるの相似形を重ねる画面上のユーモア。
*近作『罪と悪』(齊藤勇起監督、2024.3.5レビュー投稿)で、対面する高良健吾と椎名桔平が無言で海鮮冷麺(?)をすするシーンが意味ありげに挿入されるが、はては小津オマージュか?

大久保先生も東京に出て来てるんです、会いませんか?
と良助。
そうだなぁ、とツネ。
会いに行くが、大久保(笠智衆)はすっかり尾羽打ち枯らし、所帯じみた風情でトンカツ屋稼業をやっていることを話す。
「私も、こんなつもりじゃあ、なかったんですが‥‥」

何日も息子の家にとどまるツネ。
良助の金策もいよいよ尽きて、杉子が着物を売ると言い出す始末。

母さんは、僕が夜学の教師で貧乏暮らししていることにご不満なんですね。
いよいよ、良助も本音が出る。

妻に聞かせたくないのか、外に出て、母と工場の煙突が見える空き地に座って愚痴る。
「僕は、小さい双六のあがりまで来ちゃったんですよ」

いったんは、納得したそぶりだったツネだが、翌る日に、こちらも本音が。
わしゃ、田畑、家屋敷売ってお前に送ったから、帰るところがないんだ。
お前はまだ若いじゃないか。
なんで、そう諦めたようなことを言うんだ。
一人息子を責め始める。

そこに、隣家の息子が馬に蹴られて大怪我をしたと大騒ぎ。
良助、妻が着物を売った金を入院費に使ってくれ、と気前よく渡す。

それを聞いた、ツネ、
偉い。お前を見損なったと言ったのは間違いだった。自慢の息子だよ。

良助も、
「僕、これから、やり直してみようと思うんです」
乳飲み児の我が子を見ながら、
「こいつには、大きい双六のふりだしから始めたいからさ」

信州に帰ったツネ。女工仲間に東京の息子のことを尋ねられる。
嬉しそうに、自慢げに語るツネ。

終。

***
全般に貧乏暮らしの哀愁が漂い、喜劇味は極小。
元教師だった人が落ちぶれたヒゲ面を見せる笠智衆の姿はいささかショッキング。
(まぁ、これも一種の喜劇なんでしょうけれど。)

ただ貧乏ながらも映画を愛し、ポスターか雑誌のピンナップらしきものを襖の穴塞ぎに貼る良助の趣味は、昭和モボの一典型かと思われる。

稀代の喜劇役者飯田蝶子をメインに据えながら、彼女はもっぱら受けの芝居に終始。
終盤近くで、ウダツの上がらない息子への不満を爆発させるところに演技のヤマ場を作っている。

なお、本作のトーキーは、小津番のカメラマン茂原英雄が開発した「茂原式トーキー」を採用(本作撮影は杉本正次郎、『大全』によれば茂原は録音を担当した)。
茂原の妻が飯田蝶子とのことである(Wikipedia 一人息子 )。

スコアは、小津としては今ひとつ弾けていない印象なので、3.4 とした。

未修復らしく35mmフィルムによる上映。
でも、欠落等はなかった感じでした。

◯本作の、母子家庭の息子が出世できずに貧乏暮らしに苦しむ、というプロットを反転したのが、6年後の『父ありき』(1942年)。
笠智衆と佐野周二の父子家庭。親元を離れて進学した息子は、父親同様に立派な教師になって親を喜ばせるが‥‥
別にレビューする予定なので、乞うご期待。
*2024.3.14Filmarksレビュー投稿しました。

《参考》
生誕120年
没後60年記念
小津安二郎の世界
会場:シネ・ヌーヴォ 2024.3.2〜2.29
www.cinenouveau.com/sakuhin/ozu2024/ozu2024.html
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