過去ログになるが、10年ぶりに東京勤務となって、5/20 久しぶりに2017年タルコフスキー特集のアップリンク渋谷で惑星ソラリスを観た。
2020年東京オリンピックが開催されるが、半世紀近く前になった首都高で運転するシーンが映画の中で紹介されていて、何処かの情報サイトで首都高が神経のシナプス構造の巨大ネットワークを連想させるというような文章を見かけたが、自分が若かった頃は、そんな東京に憧れた。
IT業界に長く勤めているとSolarisは惑星ソラリスの事でなく、サンマイクロシステムズのUnix OSの事になる。自分が学生だった頃、IBMは世界の巨人と云われ2001年宇宙の旅のコンピューターはIBMを意識したのかHALと呼ばれていた。
嘗てのネットワークソリューションズの雄、サンマイクロシステムズはこの世にJavaを遺しOracle社に吸収され消滅する。
自分は富山に生まれたのだが、北アルプスと深海が広がる富山湾は神秘の海と云われ、映画に出てくるソラリスの海に、能登半島に囲まれた穏やかな富山湾を想い出す。理性のある海が人の頭脳から記憶の一部を物質化するというストーリーに惹かれ海に母性を感じる。
タルコフスキーはロシアへ望郷の想いを語りながら、タルコフスキーの家族の話だと、幼い時に詩人の父に捨てられたタルコフスキーはロシアの故郷には見向きもしなかったという。
水草が揺らぐ川の映像に森に囲まれた湖沼の美しさが懐かしく、主人公の父が撮った家族と雪山の映像や雪山の焚き火シーンのフラッシュバックは主人公の心的外傷な様に思えた。
主人公と主人公が10年前に自殺に押しやった妻が宇宙ステーションで空白浮遊しバックにJSバッハのコラールプレリュードが流れるシーンが美しく、ラストシーンが地球に生還した後の世界なのか、ソラリスの海が造り出した世界なのか悩ましい。
自分もタルコフスキーの映画の事は分からないが、映画の惑星ソラリスには海の母性や故郷の懐かしさを感じる。