jonajona

FAKEのjonajonaのレビュー・感想・評価

FAKE(2016年製作の映画)
5.0
【嘘ーフィクションーを信じること】
信じるなら、全部信じる

信じてもらうことで自分の認識も歪んできたりするっていうことはやっぱりあるんだな〜て思う。もっと小規模な話だと、漫画家目指してるって言ってるだけで全然漫画描けてなくても、地元の友人と電話したりすると漫画家志望の◯◯というていで相手が話してくれるから自分も真剣に漫画に向き合ってんだって思い込めて気が楽になったり…。かきながら空しいぜ。

佐村河内氏の生み出した大きな虚構の物語を追っていく事で、人の主観がいかに弱いかについて描いたドキュメンタリー。構造的には大好きなドキュメンタリー『あるスパイの転落死』と同じ。(ネトフリで見れなくなってた…泣)

他人を覗き見てるつもりが自分自身の認識の脆さをまざまざと見せつけられた。
当時のニュースでやたらと新垣氏の事をもてはやすメディアを気持ち悪く感じた印象はあるんだけど、佐村河内が嘘吐きには変わりないだろ?と記憶してた。
してたはず、なのに今回ドキュメンタリーを見て佐村河内氏を森氏と追ううちに、新垣氏の方が本当は性悪で佐村河内はある意味被害者なのでは?…あげくに、コレはもしかして本当に佐村河内が作曲をある程度してたのでは?と手のひらを返す自分。
海外記者と森達也氏がのちに『なぜ部屋にピアノが無いのか?』と問いただすまでには、当初の疑念は裏返っていたことに気付かされて驚愕した。
森氏は明らかに狙ってそういう『信じ込ませる構造』を作っていて、それが途中でいきなり突き放す。

これぞ社会派ドキュメンタリーだという感動がある。本作はメディア批判のみならず、自分の作品に対しても森達也氏の目線、つまりドキュメントを取る側の人間についての批判にまで回帰してる所が素晴らしい。本ドキュメンタリーのスタイル自体に対しての信頼性が揺らぎ出す後半の海外記者による真っ当すぎる質問からの展開、普通に考えるとドキュメンタリーでそんなやり口タブーだろうに平然とやってのける森氏の見るものへの啓蒙意欲なのか…逆に信頼感なのか、そんな所が好き。

なぜ嘘をつくのか?どこまで
自分で嘘だとわかってるのか?
そもそも誰が嘘だと言い切れるのか?
映ってるのは佐村河内だけど、これまでも白黒はっきりつけたがる世間と『信じる心』を撮り続けてきた作家・森氏の自己言及とも言える。
ある意味佐村河内と森達也は物語を作る者同士だったりする。森氏に叱責されてから急に準備を整えて(過剰に演出みがかった)逆光の部屋でピアノを用意し音楽に没頭する自分の姿を見せつけ始める佐村河内のラストシーン。嘘つきの悪あがきにしか見えないが、森氏のカメラが妻の指輪にフォーカスしていくことでそのシーンに意味が生まれる。あるいは佐村河内が嘘をつくのは最後の信仰者である奥さんの為かもしれない…。しかしそれも監督によって作られた意味なのだ。彼は『いいシーンが撮れた』と言う。が、ちょうど中盤で監督が言ってたテレビ(メディア)は信念がなく面白いければいいんだという発言がブーメランになってる様に思える。
その絵面は面白いしエモいけど果たして佐村河内の本心を真に捉えたものなのか?また監督自身捉えたと思ってるのか?
答えはどこにもなくて、物語の作り手たる佐村河内なるものは人の発言に対して適した答えに適応していくだけな気がする。また僕はそれを手放しで喜んでしまうのだろう。


少し逸れるけど、直感で人が嘘をついてるか割と分かる。嘘つきは嘘を吐いてるって言わないから確認のしようがない。けど嘘吐きは大概信頼に足りうるストーリーを作るのでその姿勢自体をとって嘘吐きだと直感する。この感覚は大切だと自分では思うんだけど、コレを過信しすぎたら陰謀論や信仰宗教という大きなウソに取り込まれることにも繋がるんだろーなーなんて。
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