ニューランド

人情紙風船のニューランドのレビュー・感想・評価

人情紙風船(1937年製作の映画)
4.1
✔『人情紙風船』(4.1p)及び『綴方教室(3.8p)』▶️▶️
 40数年前に見たっきりだが、そんな人間でもいまだに強い愛着をおぼえる、誰に対しても好感度高いだろう二本を、割と間置かずに観る。『人情~』は4Kデジタルリマスターでフィルムの曖昧模糊領域が抜けてる感あるが、両作ともしっかり伝わって来る素材。高名な山中作品と、山本嘉次郎作なれど、チーフ助監の黒澤の持味をも『馬』程ではなくも、ストレートに引出し加えたような『綴方~』。山中と黒澤は、'09遅生れと’10早生れの同学年で、自然体·天才肌の前者と、圧倒的造形力と語り口の後者は、一見対照的存在だが、映画表現の純粋な追及·映画ならではと呼ばれる嘘を排した真実への向かい方、内実は同類の気がする。事実、数歳年上に過ぎないが最高の巨匠と既に見做されてた小津は、山中とは才能·人柄で通じ合い、得難い親友となっていったし、日本映画に異を唱える作風で、潰されそうになる黒澤を身を挺して護った。
 似てるようで非なる3者の作風は、実は通じ合ってるのだろうが、素人目にはその比較に興味が湧く。『人情~』はカメラ移動(パンも)や素早いカッティングは殆どなく、退き図·それも低め中心、近いアングルの寄り図、90°変やズラシ位置の図の正確さ、を認められるも、小津のような幾何学·抽象に可視化される精神や慣習が感じられて来るわけではない。また、声高にヒューマニズムの世界観の構築や敗北を語り訴える黒澤の文学性もない。あくまで取るに足らない市井の忘れられがちな人々の悲哀のニュアンスに留まる。正確な歴史やそのポイントの構造に絞り込まない、どこでもいつでも変わらない、屈辱·卑屈と一服の気概と清涼·が行着くは諦観の認識、が今に通じる自然さで描かれる。世界観のあからさまな構築·明示は避ける。飛沫の上がる強い雨、夜の闇、長屋や武家屋敷·商家を囲む表通り·路地·堀、土間や中庭·縁側は、人を繋ぐようで方向を定め·発展や突き抜けをもたらさない。その中で微妙に下心·本性が垣間見える、寄りめの切返しが組まれる流れが不思議にきっしりとあり、実際の蛮行·凶行、具体交渉での強者の弱音、呼ばれての末路、らの行きつく姿は、不穏な始まりは描かれだすも、それ自体には描写は及ばない。
 強欲で人間味隠さない大家を振り回す位の強者·ただ酒好き·だらしない揃いの(黒澤が『どん底』で真似たような)長屋での2つの自死の間の出来事、ヤクザに追われてる札付き、士官の口利きを周知の筈の藩士にかわされ続けの浪人がメインで、その藩士·画策が家老家に自分の養子化経由で妻せたい御用商家の娘を、札付が彼らとくっついてるヤクザへ一泡ふかす為とさらい、欲深い大家が絡んで思わぬ大金ゲットと、その波紋の話。
 「そうか、(わしの士官話をコケにし続けた)あの毛利様が、(血の気を失って)頭を下げたか(、アハハ愉快だ、わしも皆の宴会に加わろう)」「(他のどうしようもない連中とは違うと思ってた)海野さんも、侍の筈が、同じ悪党だったとはねぇ(それをこっそり聞いてた海野の妻)」
---------------------------------------------------
 四季の区切りか入り、唱歌の印象も清々しい『綴方~』も似た、生活苦に追われてる実質貧乏長屋に近い借家の職人·土工らの群集劇で、子供を連れて夫を残し出てくも基督教に嵌りおかしくなって子だけ戻しに来る隣家の妻、芸姑に売られる苦境を書いたを外に発信できぬ·実と創作両面苦しみのヒロイン、を始めとして、似た狂気にも染まらんとして·激しさも垣間見える世界だが、父の仕事が不安定な儘の5人家族の弟2人いる小6の主人公の娘が、「自分本位でなく読む人の事を考え、正直にあるがままを書き綴る事が大切」との教師の言葉に、才能·生きがいを膨らましてゆく姿勢が(大人の仕事の貰い方にも影響したりして、波紋や大人の締付けを生んだりするが)、作品の世界観として、対象全体を無形に好転させてく楽天性にも繋がる、導く教師のウエイトも大きい、白々しさ越えて逆境に染まりきらず屈しない無垢のカラーの作となってる。
 併行鉄橋辺を高速長距離横移動大L捉え、広くグルーとパンし·まさぐって更に大きく寄る等伸びやか移動の組合せ、様々自在人々の動きや登下校複数へのフォロー移動、らのまろやか動感。屋外の大きな水溜りや·屋内の土間と敷居仕切る竹棒の色々·窓越しの内外意識通底·捉え等空間の無駄よりも息づきの広め豊かな捉え。特定スタイリッシュ避ける自由で柔か浅~深様々アングル選択·納めの、内からくる視界のポテンシャル。人間味たっぷり、嫌悪感と接触肌温もり一体の人間(関係)の残酷さも噛み砕く捉え方。雨や地域·家屋内外区切りも閉塞感ではなく、向かい越えられる手応え·可能性と置かれてる。外形を見た目、余計な張り出しを絞り削る『人情~』と対象的な技法·積極性の外観になってるが、ペシミズムとオプティミズムの違いはあれど、劇の為の誇張を避けた、シンプル·本物·親しみ湧くヒューマニズムの原点·初源押さえの、さり気なさ·品性は、きょうだい作かのように共通している。
 山中が早逝を避けられ、2人の作家が知り合い親交を深めていったら、日本映画史は別物になった気もする。黒澤のキーワードは、(日本映画離れした)激しさ·巨大さ·巧みさで語られる事も多いが、世界や映画への人一倍の危機感からそうなった気もして、本来の資質は、師匠山本や·際立ちを抑える究極の洗練·山中に近い、穏やかで柔軟なものであったろう、気もする。
ニューランド

ニューランド