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レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会うのbluetokyoのレビュー・感想・評価

3.2
前作、ゴー・アメリカは、謎テーマに作品が貫かれていて、傑作になったが、今作は、タイトルでもわかるように、テーマが、あからさまである。宗教であったり、イデオロギーであったり、そういうことを語りたいのであろう。だが、結局のところ、そうなってしまうと、テーマは借り物ということになってしまい、オリジナリティは消滅してしまう。

ゴー・アメリカの謎テーマを音楽産業としてみると、そうした世俗的な成功が、メキシコで破綻してしまうわけである。カウリスマキ監督が世俗的というか金銭的な成功を手にして幻滅したということなのだろうか。

ということで、ゴー・アメリカで、マネージャーとしてレニングラード・カウボーイズを金銭的成功に導いたウラジミールが、今度は、モーゼとなって現れる。
実に分かりやすい。
そうして、レニングラード・カウボーイズを引き連れてメキシコから故郷のロシアの原野を目指して帰るわけである。

途中、アメリカで自由の女神の鼻を持ち去り、ご神体にする。アメリカといえば、自由である。カネはいいから「自由」を持ち帰るということか。
ついでに、CIAのジョンソンが自由の女神の鼻の奪還のために追跡してくるが、なぜか、仲間になってしまう。

レニングラード・カウボーイズ一行は、アメリカからヨーロッパを経て、ロシアの原野に帰り着く。
まあ、それだけなんだろうけど。
ちなみに、途中で、ちょっと年増の女の人が歌う、バビロンの河がすごくよかった。他の曲もいい。
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