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わが友イワン・ラプシンのnetfilmsのレビュー・感想・評価

わが友イワン・ラプシン(1984年製作の映画)
4.2
 物語はある男の少年時代の回想で幕を開ける。少年の父親は刑事で、アコーシキンとイワン・ラプシンという同僚刑事たちと、警察の宿舎で生活していた。その頃、街では死刑判決をうけた脱獄囚ソロビヨフが度々殺人事件を引き起こしており、ラプシンたちは彼を捕らえようと必死だった。やがて新進女優のナターシャと出会い、ハーニンというラプシンの友人の記者も混じり、ラプシンとハーニンとナターシャの奇妙な三角関係が始まり、脱獄囚ソロビヨフの捕物も徐々に展開を見せる。処女作『道中の点検』と同じように、実父ユーリー・ゲルマンの短編小説を元にした作品でありながら、これまでの2本の戦争映画と違うのは、猟奇殺人犯を追う刑事ものであり、犯罪映画だということである。冒頭、カラーで始まった映画は、すっかり老人となってしまった語り手の老人の姿を映し出す時、急にモノクロになる。パート・カラーがどういう意図で用いられたかわからないが、冒頭、カラーからモノクロに転じた後、しばらくモノクロ映像が続くが、ナターシャとの出会いの場面で急にカラーになる。

 1930年代を描いた物語は、歴史的に見るとロシアの空白期にあたり、スターリンの大粛清の前の平和な時代とされている。登場人物たちには連続殺人犯を追いかけながらも、どこか楽天的な雰囲気が漂う。密告するよと冗談を言ったり、次に来る大粛正の時代にまったく気付いていない。それが一番端的に現れているのは、食卓での大合唱と口笛である。今作は陰鬱な題材を扱いながら、陽気な口笛映画とも言える。カメラの動きは前2作を遥かに凌ぐ機動性と有り得ないショットの連続である。おそらく室内の人物の移動に関しては、相当念入りにリハーサルを行ったものと考えられる。今作もまた主要キャストのほとんどは皆素人で、演技指導も大変な上に、人物の移動に関しても完璧さを求める。ナターシャとの再会の場面、ラプしンがバイクで市電と並走し、彼女の到着を待つ。ラスト・シーンも窓を開けると、楽隊を乗せた電車がやって来る。ゲルマンの映画では列車の到着や帰還が強い意味を持つ。ラプシンは、脱獄囚ソロビヨフを逮捕することが、自分たちを楽園に向かわせる行為だと信じてやまない。しかしスターリンの粛清により、犯人逮捕に沸く現場には暗い未来が待っている。
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