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恋する惑星の教授のレビュー・感想・評価

恋する惑星(1994年製作の映画)
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恐らく日本公開時は世代的にジャストなタイミングだったにも関わらず、イジケた思春期を送っていたり、周囲の環境のせいでよくわからず敬遠していた映画。

しかし。近年になってのレトロスペクティブ的な再評価に呼応するように、年齢も重ねて「再評価」できるようになった。
とにかく全てがとても良い。

一昨年からジワジワと「ゴダール耐性」がついてきたので(だからこそ「難解」と感じる映画でもひと通り観ておくことは重要)、本作におけるウォン・カーウァイの持つミーハーなシネフィル的な「ジャン=リュック・ゴダール」の影響を顕著に感じることができて楽しい。
この「ミーハーな感覚」こそが作家性であり、この角度で映画史とも接続している独自性がユニーク。

今時の言葉で言うところの「痛い」感じのするモノローグ。画角にこだわったオシャレな画面設計。90年代リアルタイムなクランベリーズをカヴァーしたフェイ・ウォンの「夢中人」や70年代リバイバルのママス&パパス「カリフォルニア・ドリーミン」などの選曲も、実にミーハー。

しかしこの「ミーハー」なポップさというのが、ウォン・カーウァイ監督の、ロマンチックな憧憬として歪な味わい深さを感じさせて切ない。
これは主人公のひとりモウ(金城武)に仮託された過剰なセンチメンタルさや、フェイ(フェイ・ウォン)のジーン・セバーグを彷彿とさせるショートカットで奔放で「痛い」言動などに切実に描写されている。

ストーリー自体が実は荒唐無稽で、バカバカしいからこそ、当時何故あれほど若者を中心にヒットし、また自分も含めてある程度の反発を起こしたのかというのは、今観直してみて興味深い。
「恋愛至上主義」的な考えをより過剰に突き詰めたところに浮かび上がる作家性こそゴダール耐性の為せる技だとは強く感じる。

映像に込めた無駄のない思い入れと感情の爆発だけで映し出された純粋映画としての凄みが今更になってようやく感じられて楽しかった。
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