さわだにわか

46億年の恋のさわだにわかのレビュー・感想・評価

46億年の恋(2005年製作の映画)
4.2
男になるため浜辺に行って男の精を喉に受けよと長老的なやつに言われた少年はそうして男になることに怯えているようでも興奮しているようでもあったがどちらにしてもその感情の底には深い孤独が横たわっているように見えた。

たぶん三池崇史がラテンアメリカ文学の世界に最も接近した一本なので実験的な映像詩のような映画だが、二人の主人公のうち獄中で殺された男の方(安藤政信)の過去を辿るパートが実録風というか深作の『仁義の墓場』風のドキュメンタルなルックで浮いている。

こんな環境で育ったら誰だって犯罪者になる、と事件を追う遠藤憲一は呟くが、一方で殺した(とされる)方の男(松田龍平)の過去は具体的には描かれない。おそらくその詩的表現が冒頭の儀式なんだろうと思えばなんとなく松田龍平の育った「こんな環境」も察せられるが、あの虐待儀式が象徴するものはもっと広く古代から現代まで連綿と続く男性性の呪縛なのだろうとも思う。男なら犯せ、男なら殺せ、男なら弱みを見せずに上に立て、という風な。

男として男らしく生きるのは大変なことだし、男だから男らしく生きなければならないというのは悲劇的なことだ。メジャー以前の三池映画によく見られた一回転してギャグになる男たちの過剰な暴力と執拗な女への加虐は男ならそうすべきだというような男らしさの強迫観念の批判的表現だろうと思っているが、その意味ではMeTooがどうのとかジェンダーロールがどうのとかまびすしい今でこそ生きる映画なのかな、と思う。案外ないんですよ、こういう逆方向からのフェミ二ズム映画みたいなの。
さわだにわか

さわだにわか