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東京夜曲のdojiのネタバレレビュー・内容・結末

東京夜曲(1997年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

これはインターネット前夜ぐらいの時代の感じだなと思いながら観た。下町のコミュニティへのノスタルジアって、どこか大昔のように感じてしまうところがあったけれど、本作ぐらいの時代だと、感じたり経験したりしたことはないにしろ、すこしだけその肌感のようなものに現実味があるような気がする。過度にしっとりし過ぎないバランス感覚が心地よかった。

だれかがだれかのことをこっそりおもっていて、そのいずれもが成就することはない。同じコミュニティにいて、すぐそばで日々を過ごしているのにもかかわらず、時間がいずれ致命的なすれ違いをもたらしてしまう。その時間の不可逆性というのは、実際にぼくも経験しないとわからないことだった。どうにもならないことを携えて生きていかないといけないこと。その痛みにやさしく触れながら癒しも同時に与えるような本作のタッチには、やっぱり抗えない魅力を感じてしまう。

ラスト、商店街を去ろうとする上川隆也と長塚京三がすれ違う。長塚京三演じる人物が、数年ぶりに街に帰ってくる冒頭のシーンとの対比がそこにあるわけだけれど、上川隆也は劇中でさまざまなすれ違いを確かめ続けていて、倍賞美津子演じる人物に想いをよせながら、そのすれ違いを認められずにいる。そして受け入れられない彼は街を去り、諦めてその街で生きていく長塚京三は、町の日常へと戻っていく。なんとなく上川隆也とじぶんを重ねてみてしまっていたから、無言のシーンでそのすべてが描かれていることに胸を打たれた。きっとぼくもまだ受け入れられていない気がする。
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