イスケ

浮き雲のイスケのネタバレレビュー・内容・結末

浮き雲(1996年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

あー、優しい。
夫婦で空を見上げるラストシーンは泣いてしまうな。

「ステーキとソーセージ」

誰もいない厨房に告げてから、自分で料理を作っていったん小窓から出すのが面白すぎてww、何度も観直してしまった。
貯金を引き出しに行った時に急にバッグの中のビスケットを食べ始める奇行とかw

相変わらずカウリスマキ節が散りばめられていてクスッとできるのだけど、やはりマッティ・ペロンパーがいないだけでちょっとシリアス度は増すよね。


ただ、そうは言ってもこれまでの作品に比べると本当に希望を持てるエンディングだなぁという印象があった。
労働者三部作の時は、希望を見い出したような締めくくり方の中にも、「それは刹那に過ぎないのである」とでも言いたげな空気が漂っていたもんね。
国の困窮に飲まれ、確かなものは何もないままに夢幻の境目を超えて現実からの逃避行をするような感覚。

それに比べて本作の夫婦は、色々間違いながらも、粛々淡々と誇り高く自分たちの力で何とかしようとしていた。
これまでの登場人物たちがロボットのように貧困のレールに乗っかっていたのとは違って、しっかり自分の足で歩もうとする力強さは見えたんだよ。

失業手当なんかもさ、「貰っときゃ良いのに」ってこちらは思うわけで。
でも自分で頑張れるうちはそんなものに頼らないという心意気こそが、お店を開くまでの推進力になったわけで、失業手当を受け取っている世界線があったならば、ただ何とか生きてるだけの貧困層になってしまったんだろうな。自尊心って人間が最も喪失してはいけないものなんだよな。


色々間違ってたけど、失業保険を受け取らないのもギャンブルに駆ける姿も良いなと思った。
こんなに肯定できるギャンブルってあるんだなと。
イロナは全部擦った夫を責めるどころか、より絆を深めたような所作を見せてたよね。
普通に考えたら「あんな負け戦になけなしの金を突っ込んでバカだな」になるんだけど、この夫婦の場合はあの姿が美しい。

失業保険もギャンブルも正しくないとかバカだとかそういう表面的な問題じゃなくて、内なる心意気と絆の話なんだと思う。
間違っていたとて、ふたりは基本的に同じ方向を向いてた。
最後にふたりで空を見上げてる時の美しさの正体ってそれだと思うんだよ。本当にお似合い。
この作品って、自分に合ったパートナーがそばに居る尊さの物語でもあったような気がする。


お金を出してくれる支配人がいなければ、この前向きなエンディングは無かったかもしれない。
じゃあただのラッキーだったのかと言えば、そういう話ではないよね。

新しく勤め始めたボロ店について「私がいい店にするわ」と夫に言った気概。

自分のお店をオープンするために、地べたに紙を広げて計画を立てている姿。

そもそも長年勤めて給仕長にまでなったという経歴。

そして、支配人に「お金を出しても良い」とあっさり言わせてしまう信頼。

これらはすべて、イロナが地に足をつけて積み重ねてきたもの。
強運はやってこないかもしれないけど、準備していない人には訪れないことだけは確実なんだよ。

時に映画的な説法は胡散臭く感じるものだけど、相変わらずカウリスマキ作品の登場人物は言葉で語らない。
特にこのイロナは粛々と行動に移し、背中で語るような人物だった。


幸せも毎日続けば麻痺をする。有り難みを失ってしまう。
泥船だと言われつつもまだまだぬくぬくと暮らせている日本から見れば、本作の夫婦は悲惨に見えるかもしれない。

でも苦しさが背中合わせの夫婦にとって、ラストシーンの煙草ほど美味しいものはなかったんじゃないだろうか。


カティ・オウティネンの演じる人物は常にダウナーに見えるけど、実は作品によって確実に色分けされてるのが素晴らしい。

愛しのタチアナの可愛い彼女も、マッチ工場の少女のどんより曇った彼女も、どれも似通った表情なのに。

田村正和並に何を演じてもマッティ・ペロンパーなマッティ・ペロンパーも素晴らしいんだけどねw
イスケ

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