イスケ

猿の惑星:創世記(ジェネシス)のイスケのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

シーザーが「No!!」と言葉を発した瞬間が、あの1968年の猿の惑星に繋がる起点なのだと考えると、何とも言えない気持ちになる。

人間は初めにイヤイヤ期があって、反抗期を経て自我を得て、仕事や家庭を持って本当の意味で独り立ちしていくものだけど、シーザーの場合は違う。

高度な知能を持ちながら痛められ続けることにより、我慢の限界に達した果ての「No!!」だった。
ゆえに彼の自我の発露には、人間のエゴが含まれているとも言えるわけで、ひいてはそのエゴが人類を衰退させたのだと想像させられるのがチクチクくる。

1968年の猿の惑星を見ていた時には、戦争が人類を滅亡させたのだと思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。
でもベクトルは違えど、醜悪な人間の性質が自らを滅亡に追い込んだことには変わらない。

この作品で描かれていることはただの寓話ではないという点に、さらなるおぞましさがあるよね……
シーザーほどの高度な知能こそ持っていないものの、チンパンジーに対する動物実験などはつい最近まで普通に行われていたのだから。


この物語の絶妙に気持ち悪くて、それでも個人的に嫌いではない点がある。
それは、ウィルがさも良い人であるかのように描かれているところ。言い換えれば、ウィルとシーザーの互いへの愛の美化。

ウィルはシーザーのことを思いやり、ラストの森のシーンではシーザーの気持ちを尊重し、素直に別れを受け入れた。
この時のウィルは寂しさを感じつつも、シーザーに対する親心を示せたことで、一定の満足を得ているような気がするのですよね。
表情も見てもそうだし、人間ってそういう悦の浸り方をするものだと思うんだ。

先にシーザーの「No!!」がすべての起点と書いたけれど、実際のところは、ウィルの身勝手な行動こそが人類滅亡への本当のスタート地点です。
それが良い話になってしまっている気持ち悪さ。そしてそれが無自覚の罪を犯してしまいがちな人間の本質混じりにも感じられてくる。

とはいえ、どこまでいっても自分も人類なわけで、潜在的にウィルの行動や感情を理解できているのだと思います。
だから、気持ち悪さの中にも「でも自分も同じかなぁ」というハートをちょいちょいされるような感覚が残るのかなと。


シーザーたちは本作ではアルツハイマーの薬によって覚醒したけれど、2020年以降の世界に住む立場としては、AIと組み合わさった時の怖さを想像する。

AIに仲間意識はないので少なくとも今の段階ではAI同士が共謀する怖さはない。
でも、動物の脳の電気信号の操作をAIで行うというAIと生物を組み合わせた実験が思いもよらぬ方向にいってしまったら……知能レベルが人間の100倍以上のライオンとか大量に現れたらもう勝ち目ないやんけ。
イスケ

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