なのち

セルロイド・クローゼットのなのちのネタバレレビュー・内容・結末

セルロイド・クローゼット(1995年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

メモ

当時の社会で認知されていた、もしくは実際に行われていた同性愛について映画が表象するのではなく、ヘテロセクシュアル以外の人々が彼ら自身の姿がどのようであるかを映画の表象に求めていたという点で、同性愛者を含む社会が映画を作ったのか、映画が同性愛者の輪郭を明確にしていったのかなどの点で、密接に関係しているのだと考えた。また、同性愛としてゲイとレズビアンについて取り上げている中で、レズビアンが官能的に描かれ、ゲイは社会の笑いもののように面白おかしく描くことを目的にされている印象があった。男性が優位であった(女性がマイノリティであった)社会から考えると、レズビアンのほうがマイノリティの色は濃くなると考えられるが、同じ同性愛者の中で、ゲイのほうが差別を強く受けたのはなぜなのか

ゲイが自分を笑いものにしないとやっていけない→笑い物の像が完成した
黒人のゲイはいいけど白人のゲイはタブーとされてたこと??

60年代、絶望的ネガティヴイメージ(社会の中で抑圧され否定されてきた社会から受けたイメージでしかないのに?)死とか苦しみを受けるのが当たり前というイメージだった
→メディアが社会的イメージを汲み取り表象している
固定されたパターンによる消費
●メディアの表象が大きな影響

エイズは天罰だとされた『フィラデルフィア』

「同性愛としてゲイとレズビアンについて取り上げている中で、レズビアンが官能的に描かれ、ゲイは社会の笑いもののように面白おかしく描くことを目的にされている印象があった。男性が優位であった(女性がマイノリティであった)社会から考えると、レズビアンのほうがマイノリティの色は濃くなると考えられるが、同じ同性愛者の中で、ゲイのほうが差別を強く受けたのはなぜなのか気になった」という部分で、『わたしたちが沈黙させられるいくつかのこと』を読んだ上で、「他者を受け入れ、平等で、開放的であることについてのおそれ」という記述があり、男性社会に「受容」側が生まれることへの恐れによる抑圧が起こっていたのではないかと考えた。また、同性愛は60年代、絶望的ネガティヴイメージが持たれていたとされ、死とか苦しみを受けるのが当たり前というイメージだったとあったが、抑圧されている状況をメディアが切り取りそれを当人に還元することでさらに抑圧を与えているのではないかと感じた。(メディアが社会的イメージを汲み取り固定化したパターンによる消費が行われていた)。改めて、レズビアンとゲイの印象さには驚いた部分が多く、特にゲイのキスが映画の表象として「強姦」と受け取られることに衝撃を受けた。
なのち

なのち