たく

陽気なドン・カミロのたくのレビュー・感想・評価

陽気なドン・カミロ(1951年製作の映画)
3.6
イタリア北部の小さな村を舞台に、政治的立場で対立する司祭と村長が引き起こすドタバタを描くジュリアン・デュヴィヴィエ監督のコメディ。「ドン・カミロ頑張る」を続編と知らずに先に観ていて、話が前後したけどなかなか面白かった。どんなに政治的に対立しても、旧知の仲として互いにどこか憎めないところに人間臭さが滲み出ててジーンと来た。フェルナンデルのインパクトある風貌が相変わらずの存在感。原題は「ドン・カミロの小さな世界」という意味で、舞台となる村で繰り広げられるベタベタした人情話がいかにもイタリアらしさを感じさせた(監督はフランス人だけど)。デュヴィヴィエ監督が撮ったのは最初の2本のみで、フェルナンデルはこの後シリーズ5作目まで主演を務めてるんだね。

新たに共産党から村長に選ばれたペポーネと村の司祭であるドン・カミロは、幼馴染の仲ではあるものの、相反する政治的立場によって日頃から対立を繰り返してる。この政治的対立がかなり露骨に描かれてて、本作が撮られた1950年代はアメリカでマッカーシズムが横行してたこともあるし、冷戦下における資本主義陣営の世界的な共産主義への拒否感が反映されてるのかなと思った。ペポーネの村長就任の演説を教会の鐘で妨害するカミロが、ペポーネに生まれた子どもを見て表情が緩むところに、心の底ではペポーネを悪く思ってないことが窺い知れる。

ペポーネの人民の家の建設とカミロの公園建設が互いに反目し合いながら進む中で、ロミオとジュリエットのような男女の恋がサブストーリーとして展開し、どちらも信念対立をどう乗り越えるかという普遍的な問題につながってた。面白いのが、カミロが司祭でありながら暴力的なふるまいをたびたび見せるところで、しかもめちゃくちゃ強いところ(これは続編でもギャグ要素として描かれてた)。彼が教会のキリスト像と実際に会話してるように描かれる演出は、カミロが自身の内なる暴力性や偏った考え方と葛藤する理性の象徴になってた。本作では川の氾濫は描かれないけど、続編の伏線として少しだけ触れられてたね。
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