このレビューはネタバレを含みます
トリュホーの愛の野生児
2011年2月20日 13時54分レビュー
1970年白黒作品、脚本、監督、出演フランソワトリュホー。監督10本め。
フランスの新しい映画の流れを作ったヌーヴェルバーグの旗手。
トリュホーの極めてパーソナルな作品と噂高い本作。ワーナー/MGMからDVDは発売されていますが、今回ワーナービデオ鑑賞。
トリュホー自ら出演した、本当に思いいれの強い作品に感じます。
私にはまさしくトリュホーが、
自分自身を慰めているような、
もしくは、冷静に思い返しているような行為にも見えましたね!
本作の博士役をトリュホーが演るのを見て、若きスピルバーグがトリュホーに出演依頼したのが「未知との遭遇」のあの助演につながります。
物語は、実際にフランスで発見された「アヴァロンの野生児」。野生児ヴィクトールに「教え」をほどこす博士イタールに監督トリュホー。
世話人ゲラン夫人とともに過ごすドラマ。
まるでさながら、トリュホー版「奇跡の人」のようでした。
教え、教えられ、速記記述して彼を人間に近づけるようにそっと寄り添い、時にムチを与えドラマは、進みます。
トリュホーの素晴らしいカッティングも魅せてくれます。
リズミカルな中盤のヴィヴァルディの調べと教えのカッティン
グがさえます。
映画はどこか物足りずに静かに幕を閉じます。トリョホー自身、このエンディングにあまり満足してないようです。
その後の野生児とゲラン婦人の事実をつげるべきだったと語っています。
博士は、政府の援助がきれると、研究をやめて、ゲラン婦人が育てていったそうです。
30半ばで野生児は死んでしまいます。
トリュホーは、俳優にこの役をやらすと愛深くやるのを嫌ったそうで自ら冷静にやったそうです。
そして、やりたかったんじゃないのかなと思います。
本作をなぜかジャンピエールレオーに懐古的に捧げているのがその証拠です。
トリュホーも演じながら、処女作「大人はわかってくれない」でトリュホーの分身であるジャンピエールレオー少年に演出をつけるディレクション姿を何度も想起したそうです。
トリュホー自身、私生児、脱走、兵役拒否、素行不良、貧乏等々不遇なティーン時代を過ごしています。それほどトリュホー自身で演じたかったように見えます。
教育をあまり受けれなかった自分自身への姿を野生児に託しているようにさえ思えてなりません。
トリュホーが野生児に手に手をとって、ゆっくり淡々と導くラブな「手添え」にあたたかい「ラブ」を感じました。
人間の能力は、ゆっくりでも開花し、進む。
そこにラブがある限り。
そんな見えないメッセを感じました。
さて
トリュホーが演じる野生児への愛ある教育、教えとはいかに?