かなみ

8 1/2のかなみのネタバレレビュー・内容・結末

8 1/2(1963年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

フェリーニの圧倒的な幻想が目まぐるしく、時に軽やかに華々しく、シニカルに毒々しく映画という表現の中で瑞々しく描き出される。
グイドは他者を拒絶し内世界的で閉鎖的なアートに篭ろうとするが、その実作り上げなければならない映画という世界に没頭せずに彷徨う。無邪気な欲望を持った甘美な子供の記憶の世界で、あらゆる女性を従える薄汚い欲望を空想する様が、演劇のような強いコントラストの証明や大袈裟な態度や話し方でコミカルに映し出される。華美で妖艶な女性たちは我儘で滑稽に描かれるのがなんともフェリーニらしいフェチズムを感じる。
亡き両親との邂逅から、印象的な入浴の記憶、海辺の大淫婦を思わせる女性との記憶と、回想が何度も挿入される。芸術家は過去のそれを暴かれることで、作品のメッセージやシークエンスの根源を覗かれてしまう。これは致命的であるし同時に理解という救済も与えられる。観客はグイドのこの目まぐるしく混沌の記憶と幻想を主観的に享受することで不気味さからの不快感と、浮遊感のある恍惚を得る。360度回転でのカメラは何度か用いられ、喧騒と押し寄せる人の圧迫感と共に、フェリーニらしい華々しい人の迫力が見られる。
真偽が不明瞭な自殺から始まるあのラストの1連のシーンは開放的な孤独感からなるグイドの走馬灯のような回帰的な賛歌で幕を閉じる。この上なく完璧な映画の終わりのようにも思える。
かなみ

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