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小さな巨人のotomisanのレビュー・感想・評価

小さな巨人(1970年製作の映画)
4.0
 それはジョークの一類型といったものか、「アメリカ人のほら話」というのがある。「ジョーク」という言葉に感じる寸鉄の気に比べれば、こちらは小咄の量感と物語性がある。焚火を囲んだ野営の男たち、あるいは見ず知らずのホボ同士が無賃で潜んだ貨車のなか、夜長の無聊を紛らすこうした「同業者」同士の自慢話、武勇伝がときに途方もなく彩られてバカを言うなと笑われるような、さらにはどんな窮地でいかなる幻覚に襲われたかということであったろう。ところが、その馬鹿話のバカ比べというような事が現に起こるのである。

 自身の経験では幼稚園時代の晩春のある午後、園の改修工事による短期閉園の前日、教室の整頓に駆り出された男児十名ほどがたまたま居残り、机と調度類の片寄せられた教室の隅に集まっての各々の空想的冒険譚開陳が誰同士ともなく何らかの伝聞の交換のように始まった。そこから、各人のまるで当たり前な冒険、といっても対「赤マント」的あるいは対「スパイ団」的様相の切迫亊として、即席少年探偵譚を各自一席持つに至ったのである。振り返れば異様な真剣さを帯びたひとときであり、まさしくほら話の連発であるが、誰もそれを指摘せず批判せず一巡を終え、事の秘密を申し合わせ、戻ってきた先生の「あんたたちまだいたの」で、いわば我に返ったのである。

 アメリカ人のそれも誇大妄想的というが、それは話し手と聞き手は出自こそ違え現に似た境遇にあって、大辺境、凶暴の地アメリカで似た経験を経てきたものといえる。そこでお互い、自分はどれほどどえらい目、ひどい目旨い目にあってきたかを述べ、こころのしこりをほぐし、また笑い飛ばす事でもあったかもしれない。そして、法螺の誇大部分を取り去れば相見互いと感じ、それが慰めにもなったのだろう。
 その結果が、ワイオミングの広野でただひとりマンモスの群れが彼方を通り過ぎるのを息も止まる思いで見つめた話や、全長一マイル、超鈍足の貨物列車で兇悪車掌と拳骨の硬さ比べして転落した線路脇、半日掛りでそいつを伸して、半時間かけて谷に水を汲んで奴さんにぶっかけてやってふたりようやっと列車に戻ったが列車の尻尾はたっぷり余裕だったなんて事である。あるいは車寅次郎のハワイ旅行失速譚を語る車中の盛り上がりを回想してもいいだろう。
 ただ、非文明、未開地アメリカにあっては、語らずにいられない衝動が稀に出会えた相手、敵ではない、こころを許せる相手によって解かれたという事でもある。それは、広大で暴力的、凶悪でさえある危険なな人外境アメリカならではの人のありようなのだろう。

 そうした色合いがジャック翁の語りに感じられる。それは、特にヒコックおよび、カスター将軍との接触において顕著である。つまり、それぞれの場で翁は両者に競り勝つような武勇ではなく、対峙まで果たしたがいかに惨めな敗退を喫したかを語ったことにある。翁においてそれは、生きる道を変えるきっかけであり、こころを苛む許しがたい侮辱を被る、復讐者として立つ原点となることであったりするのだ。
 しかし、その出会いを得た結果、翁はふたりの死を看取る事となり、ふたりのそれを合わせた以上の命数を数え、彼らをもの語れる唯一の存命者とされるのである。そして、その言は常に法螺と真実の境界を探られ、翁もそんな採話者の疑念に生きている限り苛まれるのでもある。
 映画を締めくくる「出て行け」の言はそんな翁の苛立ちに違いない。しかし、一方で、来し方を語る度に、敗退し転戦してきた生涯で幾たびも多くを失いまた新たに手にし、また失うを繰り返したことへの激情に、また、カスターやヒコックをはじめとした難敵との悪夢ともあらためて直面させられるのだ。あの「出てゆけ」は襲い来る夢魔に対する退去命令、いや、今日はこれで勘弁してくれ、でもあるだろう。このように、恐怖の再来に懊悩する事を対価とする限り翁は夢魔どものいいカモとして生き延び続け、ある種、アメリカ暴力史の生き証人として人からも注目を得続ける。すなわち、やっと翁の時代を満喫することが叶うのだ。

 とは言えである。法螺部分の切り分けが難しいにしても翁は入植民と先住民双方の生活を交互に繰り返した生活参与者でもある。シャイアン族の不思議なくらいなこころのありようにはそれを曲げられない彼らの無力が悲しいほどである。対して利に敏く振舞うポーニー族の危険さ柔軟さには我々日本人によく似たものを感じてしまう。
 採話者の先住民一般への見境のない肩入れが強すぎ、カスターを頂点とした白人もまた一からげな悪者扱いが過ぎると翁は感じるのであろう。そうとしても、それは翁の証言の真正性が吟味される先で補正されてゆく事だろう。今日その成果がどう積み重なっているのか知れないが、法螺の切り分けの困難さは、先住民自身が白人への同化を強いられる中で、たとえば19世紀末期には「西部劇」興行を生業とし、昨日の敵を今日のビジネスパートナーとする中で自ら切り分け点をあいまいにさせてしまったのかもしれない。それは、白人らに改心を求める抵抗の虚しさ、白人の暴力の強さへの諦めの中で員数もこころも失わせたという事でもあろう。そして、自らを「法螺」に貶め消沈する結果に至ったとも思える。
 もとより、そのこころのありようを記す方法を知らず、そうする術を得る間もなく滅びてゆく彼らが手の施しようもなかった事である。そんな傍証も乏しい中、白人に生まれ先住民として育まれた翁が二つのこころで語る彼らシャイアン族が現代白人の偏った通念の採話者や人類学者、心理学者らに対して、翁のこころに生きているままの姿で伝わるのか、翁自身が信じきれず、また言葉を操り切れない事への失望を覚えているのかもしれない。そんなもどかしさ、無力さも「出てゆけ」と顔を覆う事には籠められたのだろう。
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