シズヲ

ロリ・マドンナ戦争のシズヲのレビュー・感想・評価

ロリ・マドンナ戦争(1973年製作の映画)
4.1
「昔はよかった」
「変わっちまったんだ」
「ここには愛が満ちあふれていた」

アメリカ南部の田舎町、私有地を巡って対立する二つの大家族が崩壊へと突き進んでいく。主役であるフェザー家とガットシャル家以外のコミュニティーは一切描かれない(精々保安官の存在が触れられる程度)。外部から接触するのは誤解によって巻き込まれたロリ・マドンナ(偽)だけ。そんな彼女も結局はフェザー家の歪さや悲哀に触れ、肩入れへと傾いていく。事態解決の見込みなどあるはずも無く、閉ざされた環境下でひたすらに不穏な空気が増幅していく惨さ。鬱蒼とした自然風景が目立った辺境のロケーションに加えて、登場人物らの如何にもヒルビリー的で小汚い出で立ちが映画全体の泥臭いムードを演出する。“身内を亡くした経験”に囚われた二人の父親が幾つものきっかけに突き動かされ、家族を巻き込んで惨劇へと進んでいく虚しさが痛烈。

タイトルにもなっているロリ・マドンナ(偽)が冒頭以外で物語の推進力として殆ど機能していないのは大分難点な気はするが、両者の顛末を見つめる“第三者”として惨劇の掘り下げには貢献している。それぞれの家族が互いに喪失を背負い、過ぎ去ってしまった過去へと想いを馳せている。そうして内在する“歪み”によって浮かび上がっていく家庭崩壊という末路。撒かれた火種が彼らを刺激し、否応無しに突き動かしていく。当時の時勢を考えると“戦争”の風刺、あるいは原始的解釈めいている。些か感傷的すぎる回想やペキンパーもどきのスローモーションにも思う所はあるけれど、それでも要所要所の演出は強烈な印象を残す。ロッド・スタイガーが息子を嬲る場面は仰視するアングルや全ての発端となった“事件”への投影も相俟って、どうしようもない遣る瀬無さに満ちている。

ロッド・スタイガーやロバート・ライアン、ジェフ・ブリッジスら技巧派の俳優が味のある演技を見せるのも印象的。複数名の登場人物は最初こそ混乱するものの、いずれもそれなりのキャラクターを立たせているので見ている内に飲み込めるようになる。最低なボンクラ野郎だったエド・ローターですら冒頭の「昔はよかった」の台詞や“歌手ごっこ”の反復によって切なさを感じてしまう。些細な場面で彼らの人間味が掘り下げられるだけに、終盤の展開への哀しみが尚更際立つ。双方の行き違いや心傷の果てに訪れた衝突と崩壊。必然的に勃発し、呆気ない幕引きを迎える“暴力”をただ見つめることしかできない。冒頭とラストで提示される“家族写真”の暖かみが哀愁の如く余韻を残す。
シズヲ

シズヲ