シズヲ

続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 4K復元版のシズヲのレビュー・感想・評価

4.8
「人間には2種類いる」
「首に縄を掛けられる奴と」
「その縄を切る奴だ」

“善玉・悪玉・卑劣漢”……隠された20万ドルの金貨を巡り、三人のガンマンが南北戦争下の西部を駆け抜ける。『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』で打ち立てた西部劇のイメージすらも飛び越え、セルジオ・レオーネの個性が極点へと到達。前作で確立された作風はある種の臨界点を突破し、もはや過激とも言える境地へと突入している。

奥行きに溢れた長回しの撮影も、クローズアップとロングショットの極端な緩急も、目まぐるしく切り替わるモンタージュも、全てが過剰なまでに鮮烈。最高の耽美である。監督として完全覚醒へと至ったレオーネの濃密な作家性が、男達三人の旅路と駆け引きを徹底的に彩る。ドル三部作はいずれも優れているけど、これはぶっちぎりの傑作。クリント・イーストウッドやリー・ヴァン・クリーフなど、前作から引き続き登場する面々は相変わらず存在感抜群の格好良さである。

ならず者の濃い顔がどアップで映し出される冒頭からインパクトが凄まじく、“役者の肉体”と“西部の情景”が強烈な遠近感を駆使しながら映し出される。映像と編集のリズムが生み出す秀逸な演出の数々。画面手前に“役者の手”が配置され、奥側には“対峙する敵”が忽然と佇んでいる……といったような前作でも見られた“奥行きの構図”が更に活用され、終始に渡って大胆なシーンを作り上げている。沈黙や無言といった間の使い方も印象深く、エンジェル・アイ初登場時の食事シーンはただ黙々と飯を食っているだけなのに凄まじい緊張感に溢れている。

前作までと同様に早撃ちのアクションによる緩急も素晴らしく、宿で拳銃の整備をしていたブロンディが敵の来訪に気付く一連のシークエンスなんかは非常に痺れる。南北戦争という時代背景を通じて、戦争へのアンチテーゼ(+それらを通じた登場人物達のヒューマニズム)をさり気なく滲ませるのも印象深い。多くのエキストラを使った戦場のシーンそのものも壮観である。

本作の凄いところは、約3時間もの長尺の多くを構成するのが“大筋にそれほど影響を与えないカット”であること。明らかにもっと短く切り詰められそうな場面も含めてじっくりと描かれ、単純に“ストーリーを追うこと”以上に演出や構図、役者の力で“シーンを魅せること”に美学を突き詰めている。そうしてパッチワークのように繋がれた数々の印象的なシーンの連続が、本作の叙事詩的で長大な旅路を形成しているのである。

エンニオ・モリコーネの荘厳なサウンドに彩られた長旅の中で世界観と登場人物たちを追い続けていく、その不思議なまでの恍惚と心地良さ。終盤になると流石に冗長さを感じる節はあるものの、それでもレオーネの優れた演出力が映画を最後まで牽引していく。その演出力と共に本作の長大な内容を持たせていた立役者、間違いなく“卑劣漢”ことトゥーコである。

意地汚く泥臭く、粗野でありながらも強か、それでいて何処か愛嬌がある。そんなトゥーコのユーモラスな人物像を、名優イーライ・ウォラックが活き活きと好演している。トゥーコが出てくるだけで場面にユーモアが宿り、彼自身も常にドタバタと話を動かすので、見ていて非常に楽しいのである。

名無しの男やモーティマー大佐、インディオなど、これまでのドル三部作の面々とは全く一線を画す名キャラクターを排出してきたことの凄まじさ。『ウエスタン』のジェイソン・ロバーズや『夕陽のギャングたち』のロッド・スタイガーなど、その後のレオーネ作品でもトゥーコの要素を持ったキャラクターが登場するのが印象的。

終盤におけるサッドヒルでの三竦みの決闘(所謂メキシカン・スタンドオフ)、マカロニ・ウエスタンどころか全西部劇史上で頂点に立つ決闘シーンと言っても全く過言ではない。最高の緊迫感、最高の昂揚感。エンニオ・モリコーネのドラマチックなスコアも相俟って、神話的なまでの興奮に満ち溢れている。

そもそも決闘直前の場面ですら高揚が凄まじく、『The Ecstasy of Gold』をBGMにトゥーコが墓地を走り回るシーンは長かった旅路の終局としての強烈なカタルシスが迸っている。ロングショットで捉えられた壮大な墓地の情景も、トゥーコを追いながら激しく駆け回るカメラワークも、奇妙なまでに感動的である。
シズヲ

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