一八

男たちの挽歌の一八のレビュー・感想・評価

男たちの挽歌(1986年製作の映画)
4.9
「俺は失ったものを取り戻したいんだ!」

僕がジョンウーを知ったきっかけは、たしか『マックスペイン』をプレイした時で、『ハードボイルド』『狼』そしてこの『男たちの挽歌』の順番で鑑賞してたと思う。
あの時は(こんな映画があるのか!)と強い衝撃を受けていたな。

当時カンフーとコメディだけだった香港映画に新しい旋風を巻き起こした、説明不要の香港ノワールの金字塔。
ガンアクションの歴史に名を刻む歴史的傑作。

《香港マフィアの一員のホーは、親友のマークと共に偽札を製造する日々を送っていた。しかし、兄が裏社会で働いていることを知らないホーの弟キットは正義感のあまり警察になろうとする。ホーはキットの就職を機に足を洗うことを決意し、最後の仕事として台湾での取引に向かうが、取引は密告されており、警察に取り囲まれたホーは仲間を逃して自首。一方香港では、組織が取引失敗の口封じとしてホーの家族を襲撃。ホーの父は殺され、キットは尊敬する兄がマフィアだったことを知ってしまう。さらに事情を知ったマークは密告者の始末の最中に足を負傷してしまう。
それから3年の服役を経てホーは出所。だがキットは父の死の原因を作った兄を許そうとはしなかった。それでもホーは和解を願い、マークの協力を仰ぎながら堅気として暮らそうとするのだが》

ジョンウーの作品には一貫したテーマがある。
"辛い時代の中でも正しさを信じて強く生き続けろ!"
たとえそれがどれだけ道のり長くとも理想を探して歩いていこうという熱い思いで満たされ続けていた。
この願いは、抑圧が広がり、未曾有の大惨事が起こりつつある今の時代にこそ必要なものだと僕は思う。

ここからは個人的な感想になる。
この物語は間違いなく、新約聖書に記されている放蕩息子の例え話がベースになってるよなと確信している。
ジョンウーは幼少期、キリスト教の迫害から逃れるために香港のスラムに逃げて、教会と映画に支えられて育ったという経緯があり、だから彼が手がけた作品の根幹にはキリスト教の教えが入っていることが多い。
このことはスコセッシの作品にも同じことが言える。
僕もクリスチャンの家庭で育ったから、本作のような娯楽作品の中にキリスト教のモチーフが入った映画を見ると、何ともいえないシンパシーみたいなものを感じてしまうのね(教会が作った映画は嫌いだけど)
特にこの『男たちの挽歌』シリーズは昔から本当に励まされ続けていて、彼らの弱さを抱えながらも信念を貫こうとする姿を最初に見た時、自分のための映画だと心の底から思ったよ。

僕の中には、弟に許しを得ようと贖い続けるホーが、
兄を許せず、がむしゃらに戦い続けるキットが、
そして、たとえドン底に落ちようとも決して諦めず、自らの手で運命を切り開こうとするマークがいる。
それはみんなも同じだろ?
弱さの中に強さがある。
諦めてなるものか。

《いつまで おまえたちは不正をもってさばき
 悪しき者たちの味方をするのか。  
 弱い者とみなしごのためにさばき
 苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。
 弱い者と貧しい者を助け出し
 悪しき者たちの手から救い出せ》
[詩篇 82篇]
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