すごく不思議な感じ。今から見たら1936年もジーグフェルドの活躍した時代も大昔だけど、この映画が作られた時点では描いている対象がかなり同時代のものだったから。ジーグフェルドの舞台をスクリーンに落とし込んだシーンはマリリン版の『紳士は金髪がお好き』や『デュバリイは貴婦人』を思い出させて、単に過去を過去として描いているのではなく、同時代にも通じるエンタメとして作られているように見える。もちろん今では、このまま見れば、過去の遺物にすぎないけれど。フェリーニ映画に出てくる曲がちょくちょく聞こえて、フェリーニやロータの幼少期がどんな感じだったのか想像できて楽しい。
元祖少女歌劇だったフォリーズ。ルイーズ・ブルックスが一時期入っていたと読んで気になっていた。素人芸であることが重要だから、役者が全く表情を変えず棒立ちになる活人画のようなシーンが2箇所くらいあった。このダンスの下手くそさは某兵庫歌劇団もびっくり。膝とかつま先、手先、上体はおしまいだけど、ちゃんと止まるし回転も早くて音に合っているところは素晴らしい。
作劇は素直に時系列で見やすいけど、エピソード集のようにして3時間近い尺を占めるのは怠慢じゃないかな。特にマリー・ルーのエピソードはもっと掘り下げても良かった。ところであの子役はうますぎる。ヴァージニア・ブルースとマーナ・ロイがとんでもなく美しいけど、結局アンナ・ヘルドが一番美味しい役なのかも。『グランド・ホテル』のときのガルボみたいな感じで(この時代から膝下ストッキングってあったんだ)。バーナムやハーストなどアメリカン・ドリームの一例としての伝記映画。『市民ケーン』のRosebudのように、モノに感傷が込められるエピソードは結構好き。センチメンタリズム全盛期。