人間蒸発の作品情報・感想・評価

人間蒸発1967年製作の映画)

製作国:

上映時間:130分

ジャンル:

3.8

「人間蒸発」に投稿された感想・評価

今村昌平監督による「稀にみる大傑作」

ドキュメンタリー映画として撮られており、大島という失踪した男を追求していくのだが、大島という人物像や足取りを徹底的に追求するだけではなく、大島と婚約していた女性や大島に関わった人間たちの姿も浮き彫りになるという凄い作品。

今村昌平監督も映っているが、ドキュメンタリー映画という枠を超えたところで「映画はフィクションだから…」と言い放ち、「セット外して~」とスタッフに指示する場面は鳥肌ものである。

こんな映画は、なかなか無い!!

このレビューはネタバレを含みます


ドキュメンタリーとフィクションのボーダーライン。

僕は、ドキュメンタリーとフィクションのボーダーラインがあるとか、どこからがどうとか、そういう概念ではないと考える。

フィクション映画の中に ドキュメンタリー映画がある。
果物の中のりんご、のように、フィクション映画の中のドキュメンタリー映画だと思う。

僕の考えるドキュメンタリー映画は、ありのまま、そのままの景色を映し出すものであるが、100% まんま自然なものを映し出してる映画なんて 無い。というか、撮ることが不可能である。
世界初のドキュメンタリー映画である極北のナヌークでさえ、演出を加えてると聞いた。
むしろ、演出を加えてない映画なんてないだろう。
この時点で、ドキュメンタリー映画の存在がなくなってしまった。なので、ドキュメンタリー映画は、1つのジャンルであり、フィクション映画の中に存在しているのである。
あ

あの感想・評価

4.2
蒸発した婚約者を追う女のドキュメンタリー映画。
生きた表情、感情をカメラに収める。
ラスト20分間、衝撃の展開。
何が真実なのか根底から揺さぶられる。傑作。
捜索されてる大島裁って人はこの当時どこで何してるんだろう。絶対この人がこの映画観たら笑っちゃうだろうな。
Ryosk

Ryoskの感想・評価

4.7
終盤為されるある死の宣告、しかしその後も映画は続く。そして映画が終わっても現実は続く。捨て身タックル的怪作。
記録
蒸発した婚約者を探す女にスポットを当て、巨匠今村昌平がドキュメンタリータッチで描く初期作。インタビュアーには俳優露口茂が密着追跡し、その人間模様を赤裸々に明かす。ドキュメンタリーとフィクションを融合させた緊張感は際立ったせる。
CK3

CK3の感想・評価

4.0

このレビューはネタバレを含みます

ドキュメンタリーと思って見てると痛い目にあう、視聴側に突きつけられる裏切り。
やられた〜って感じ。
今村恐るべし、、
「ドキュメンタリー」と聞くと、おや、報道やジャーナリズムの親戚かな、パラメータは「かしこさ」重視で「ちから」などの肉弾的ステータスは低めなのかな、などと思いがちですが実はさにあらず、ドキュメンタリーこそ「ちから」ステータス全振りのバーサーカー的暴力装置になりうることを如実に示す傑作だと思いました。

プライバシーの概念が今ほど浸透していない時代のこととはいえ、個人情報根掘り葉掘りで出演者にダメージを与えまくる本作。さらにカメラの前の出演者が無意識のうちにキャラクターを演じ始めるという『ゆきゆきて、神軍』的有害事象も発現。最後は虚実の皮膜に絡め取られた出演者たちが路上で大ゲンカして終わるという、スタンフォード監獄実験なみの業の深さです。

『山田孝之の東京都北区赤羽』が『ゆきゆきて、神軍』の影響下にあることは明らかですが、その『ゆきゆきてー』もまた本作の系譜に連なるわけで、近松門左衛門言うところの「虚実の皮膜」を暴力的に乱打しまくるファイトスタイルのこれら作品群の血脈が今後どのような怪作に繋がってゆくものか、大いに興味があります。

このレビューはネタバレを含みます

最初はいかにもドキュメンタリーらしく、実在の失踪者「大島」の親類・友人・知人に、その人となりを聞いて周る展開が続く。
彼ら曰く、「大島」という人は―――

「仕事熱心な男でした」
「仕事のできない男だったよ」
「真面目な男でした」
「不真面目な男でしたよ」
「女にだらしない男でしたからねえ」

と、証言者によって「大島」の人物像は全くバラバラだ。
この辺はまさしく「ドキュメンタリー」っぽく、演出も劇伴もなく、淡々としたインタビューが連続する。
親類たちは本物のド素人で演技をしないため、何を言ってるか聞き取り辛く話も要領を得ない。
大した進展も無い淡々とした展開に飽きてきて、「もう消してオナニーでもしようかな」なんて思った頃に画面の雰囲気が変わる。

ここからがこの映画の変な所だ。
どっかの座敷みたいなところに集まってる映画スタッフと今村昌平の映像。

「この映画方向性間違っちゃったなあ…」
「もっと情念の方向に行きたいんだよね」
「女だ女」

なんて相談をしている。
つまり撮影の舞台裏を、映画の途中で流してしまっているのだ。
しかも、本当にここから追うテーマが変わり、「大島」の恋人「ヨシエ」に焦点を当てた映画になる。
「ヨシエ」(この人も当事者本人)の悲惨な生涯やら、姉妹の確執やら、スタッフの一人との熱愛発覚やらを追う映画に変更されてしまうのだ。

で、テーマを変えてまたドキュメンタリーが続くわけだが、さっきの談合シーンで観客には
「この映画はドキュメンタリーながらも、実際は作為的な演出を仕込んでいる」事をばらし、
「ヤラセ的要素」を強く意識させてしまった。
じゃどのツラ下げて後半もドキュメンタリーを続けるのかというと、開き直って演出・SE・映像トリック使いまくりだ。
前半あれほど抑え気味だったカット割り、劇伴などの演出が何の遠慮もなく使われるようになってくる。
つまり「フィクション的」になってくる。でも、外面だけ「ドキュメンタリーっぽかった」前半も本質は同じ。
ドキュメンタリーなんて最初からなかったんや!って話だ。

それまで白熱の真相解明が行われていた現場さえも、監督の一声で解体されるセットだ、なんて映像もある。
後半はもうカメラやスタッフの姿も隠そうとしない、どんなに本物っぽく撮ってもあくまで「作り物」であることを強制的に突きつけられる。
それでいて「ヨシエ」への追及はしっかり猛烈に行う。ラスト近辺のヨシエさんはもう四面楚歌の集中攻撃を受けて半泣き状態だ。
実名も暗い半生も暴かれた上に猛烈バッシング。人格崩壊してそうだ。でも、ここまでしているのにこれは「フィクション」。
映画後半は、このパラドックスを延々同時に見せられる。

結局2時間ずっとおちょくられっぱなしだった。
捻くれまくりの超悪趣味映画である今作に比べると、「ゆきゆきて神軍」(今村昌平制作)さえ「過激だけど結構真直な映画」位に思えてくる。
今村昌平映画のあの過剰なクソリアリズムも、あくまで虚構と割り切ってるから出来る作風なのかも。
クワン

クワンの感想・評価

2.8
今は亡き今村昌平監督。
彼はテレビや劇場映画でドキュメンタリーも撮っていた。
この作品は、突然消えてしまった婚約者の行方を追う女性を主人公に据え、
今村監督の代弁者的な立ち位置で俳優の露口茂(「太陽にほえろ」が有名)を伴って、関係者を尋ねさせる。女性にも内緒にした隠し撮りと録音で、果たして、婚約者は見つかるのか、とスタートするのだが、前半のクライマックスは実は婚約者は別に女性がいて(二股しつつ振られて、彼女と婚約した)その女性を直撃するところである。後半は一向に見つからず、途中で方向性がシフトされていく。女性自身の業にただひたすら迫っていく。幼少時からの姉との確執など。ドキュメンタリーとは中立という視点はなく、あくまで監督の視点と思惑と操作が色濃く反映するのだと思ったが、この作品はそれが過ぎる。ただ、それを今村監督も言いたかったのかもしれない。ドキュメンタリー作品としては異例の作品だと思う。

亡くなられて、当時、縁が深い知人と共に今村昌平監督のお別れの会に伺ったことがあるが、そこで驚いたことがある。献花台をはさんで左に「楢山節考」、右に「うなぎ」で受賞したパルムドールのトロフィーが飾られていたのだが、一方、入口近くにでかでかと直筆文字で印刷された巨大ボードが飾ってあり、こう書いてあった。「すべて◎◎◎がかたいうちだぞ 今村昌平」※公共SNS上、直接表現は控えさせて頂きます、、

さすがに人間の性(さが)をとことん追求した監督だ。
座右の銘として言うことが違うと、妙に納得してしまったのだった笑
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