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こわれゆく女のKuutaのレビュー・感想・評価

こわれゆく女(1974年製作の映画)
4.5
「もっとこう、天気の話とか、普通の会話を出来ないのか」

採掘現場からメキシコ人が「向こう側」へ落ちる様子を夫(ピーター・フォーク)は見送るしかない。クライマックスでお前らはこっち側なんだと、夫は二階に子供たちを押し込めるが、その度に子供は階段を降りて妻(ジーナ・ローランズ)の元へ集まる。海岸のシーンで、娘を抱き抱える夫の左右の往復が、縦方向に置き換わっている(今作のポスターも上下の抑圧関係に見える)。

前半で示された一階と二階の断絶は、この子供のアクションによってぶっ壊される。もちろんその前の、真っ暗な階段でキスする夫婦のシーンも家族の原点という意味で大事なんだろうけど、この子供の行動は泣けた。「FACES」も一階と二階で分離した顔と体が、階段でくっつく映画だと思うので、同じ展開ではあるのかなと。

「水」道管の破裂をきっかけに1人でビールを飲む事になった妻は、privateを強調した浴室にこもってシャワーを浴びる。精神病院送りとなり、夫は子供との交流を保とうと海へ向かい、帰り道でビールをシェアする(海岸なのに画面の抜けは悪いまま)。退院した妻の手を取り、夫が水で血を洗い流すことで映画が終わる。

関係を確立した2人は「外」からの電話を気にせずベッドメイクを続け、妻からの枕キャッチとかいう、ジョン・フォードばりの小技もエンドロールで見せてくれる。

終盤に実際に血が流れるが、画面内には何度も赤が映り込む。社会にがんじがらめになった妻が流す血の色なんだろう。

社会の「普通」を歩くための靴が冒頭で脱げる。「家庭という特殊な内」と「普遍的な外」の区別がめちゃくちゃな状態にあり、女性としてどの顔を見せれば良いのか上手くコントロールできない(子供も不釣り合いな靴を履こうとする)。

道ゆく人に今の時間を聞き続けるのも、社会の「普通」から外れてしまった姿に見える。ただ、その動機が「子供のスクールバスを待つため」という、母親として至極真っ当なものなのがバランス良い。

序盤の「繋がらない」編集も面白かった。仕事依頼を断ったぜという夫のアップで暗転するが、追加説明もなく工事現場にいる。間男とのセックスを拒否する様に見えた妻だが、次のシーンはベッドから出てくる。まともな映画のロジックは最初から壊れている。

フォーカスの変化を使いながら、他人の顔に自分の画面が「占有」されるもどかしさと不安を描く。焦点の定まらない妻と夫の視界は「外部」の顔に邪魔され続ける。夫婦の隙間を埋めるように、子供や自分の母親までベッドに呼び込む序盤の夫に笑った。

カットバックも、夫婦の間ではうまくいかない(夫婦以外の間ではそもそもカットバックがほとんど無いが)。画面の左半分に顔が入った妻のショットの切り返しで、夫の顔も左側に寄っている。距離感がおかしい。

でも、退院後のパーティーのテーブルで、2人が横の席に座ってカットバックすらしなくなるのは夫婦のコミュニケーションとしてもっとおかしい。夫が妻と協力して「外部」に立ち向かおうとしたのだろうが…。だから、あっさり妻の虚飾が露呈して、階段の下りへ展開するのは、こっちの方が健全だ…とホッとした。

ラストに白い物の投げ渡しで夫婦仲が復活するのと、協力の証としての台所の水道は濱口竜介が「寝ても覚めても」でやってたやつだーと思った。90点。
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