しろくま兄サキス

時をかける少女のしろくま兄サキスのレビュー・感想・評価

時をかける少女(2006年製作の映画)
2.5
【パンチラは徹底排除。ヨコシマな妄想膨らんで逆効果ww】
 例えば透明人間になれたとする。光学迷彩でもハリポタの透明マントでもなんでもいいや。とにかく、周囲から自分は見えなくなったとしたら、何をするか?自分ならまずせっかくの特殊能力にもかかわらず、コンビニでザ・ベスト万引きしたり、女湯のぞくとかそういう実に低レベルな使い道を思いつくだろう。この映画のヒロイン、マコトが用いるタイムリープという特殊能力の使い道も、結局はそれと五十歩百歩だったりするんよ。最初のうちは。

 自分を含め周りにも、大林宣彦版「時かけ」の原田知世にヤラれた連中は多い。あれから20年経って、劇中、芳山和子本人も登場する20年後という地続き設定、しかも監督が細田守とあっては観ないわけにはいかぬ。いかぬのだ。脚本自体はそれほど優れているとは思わなかったが、演出は細田節全開。非常にリリカルでじんわりと心に染み入る。おじゃ魔女どれみで原田知世が声優として登場した回を彷彿。

 最初、困った事態に陥ったときの”回避”、あるいは”エゴ”を充足する目的でのみタイムリープを使っていたマコトが、どう自分と向き合い、他者との関係に目覚めていくのかという過程がとても丁寧。自身の淡い恋心を自覚できず、ひたすら回避しようとする姿には、オジサン身悶えしてしまうが、この年頃の女の子はこうなのかっていう幻想もいだかせてくれる。

 この物語で言うところのタイムリープは、劇中で所謂タイムパラドックスのことには一切言及されないし、そんな描写もないから、量子論でいうところの多元宇宙解釈っていうことでよろしいか?ある決定が行われた局面局面で、世界はそうなった場合とそうはならなかった場合の世界とに果てしなく分岐していく...という。つまり、マコトのタイムリープとは同一の時間軸に遡行するというより、無数に枝分かれしていった世界のひとつに主観的意識のみが飛び移ったと見るほうがわかりいい。儂も、青春のある時点、ある場所に戻ってもう一度やり直せたらと思うことはある。つか、人生もっぺんやり直したい.....。

 一つ残念なことがあるとしたら、あんまり面白くないことだw。