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時をかける少女のmatchypotterのレビュー・感想・評価

時をかける少女(2006年製作の映画)
3.9
あまりに有名な細田監督作品。

青春×タイムリープという、キラーコンテンツの掛け合わせ。何とも清々しい作品。

それにしても、この真琴。こいつがその力を持ってしまったが故に、なんと無駄が多いことか。ただ、その無駄が無駄になってない、というか、無駄なんだけど、無駄じゃないというか。

当然、タイムリープできたらやりたいこと“あるある”を存分に観てる人を代表してやってくれる。原理も法則も理解もせずにバシバシ考えずにやっちゃって、まったく理に適ってない使い方と言い、タイムリープを使ったところで結局問題点の解決をする術を持ってないというか、タイムリープ能力よりも、そもそもの問題解決能力が足りてない真琴。

抜けてる真琴がやりたい放題やった末に、自分の都合を優先した先に、ちょっとしたズレが出て、違う噛み合わせになって違う結果を出そうとする。
それに気付いた時に、もう後戻りできない状況になってる。ホント抜けてる真琴。バカヤロウ、真琴。
でも、それだけならただのバカで天真爛漫な女子高生の厨二病みたいな話だが、そこをそれで終えない細田監督。
そこから、まさかの展開を作ってくる。
まさかの展開をそこまでの日常、そして、あの踏切を起点に全てに帳尻合わせてくる感じ。絶妙。

この数日で、新海誠、宮崎駿、と立て続けに巨匠作品を観てきたので何となくだがそれぞれの違いを感じる。

細田監督作品は比較的線が細くて、全体的に少しピントがボケてる印象。
青空、学校、輪郭、表情、空気。ただその線の細さと対称的なとてつもなく規則正しい、精巧で緻密な世界も描く。
イメージ的にはこの対称はアナログとデジタルの対比、なのかなーと。

青春というアナログで定形化されてない抽象的で、でも誰もが認識してる現象というか、ある特定の期間。
それとタイムリープという、絶対的な時間を超える高度な理論に基づく体験。

これを体現するために、ぼんやりしてるものはよりぼんやりと、くっきりしてるところはよりくっきりと。その棲み分けが違和感を生む。違和感を生むような話なんだから違和感が出て良い。
そう割り切ってどっちも極端に描いてるのか?と思うことにする。

『バタフライエフェクト』とか『バックトゥーザフューチャー』的な学習したり、理論を構築して計画して未来や過去を変える話ではなく、普通の女子高生がタイムリープを普通に使って、一夏の青春をちょっと違った形で、ちょっと重いものを背負って、奮闘しながら謳歌する、そんな話。

この、真琴、ちあき、こうすけ、の仲良し3人組。女1、男2の3人組なんて絶対うまくいかないでしょ!を、もう成り立ってないようで成り立ってるようなギリギリ絶妙に成り立たせてる、いや、成り立ってないのか?の曖昧さも素敵。

1つ、確実に言えるのは、俺が何回タイムリープできたとしても、ちあきのようなカッコ良い学生にはなれない、ということ。
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