ヒロ

青い春のヒロのネタバレレビュー・内容・結末

青い春(2001年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

青春映画であります。
定番的に青春映画は、モラトリアム期間が終わる焦燥、理想と現実のキャップ、先の定まらない閉塞感を描いているなぁ、と思います。(洋画のゴーストワールドもそうですね。あちらは女の子のお話ですが。あちらは不良ではなく、一般社会に迎合した奴らとはあたしは違うといって(マイナー音楽愛聴したり、厨二病的な感じのタイプの女の子)突っぱねた結果、仲良しの女の子は先に社会に馴染み大人になり、主人公は逃げ続けた結果取り残され、社会に馴染めなくなってしまった。そして自己の幼さを自覚して、生まれ育った街を出てゆく決断をする話です)
不良男子の青春故の、刹那的で暴力的な儚さでしょうか。心の中に溜まった焦燥感、学校という狭い世界の中で、今の地点でしか物事を見て判断できない10代特有の心の未熟さや衝動性。こちらの作品はよりシリアスですね。(中野信子先生のユーチューブによるとこの年代は、大人が『そんなの大したことじゃないじゃん…』って位のものでも、非常に耐え難く苦痛や不安感を強く感じ易いそうです)
黒がキーカラーとして随所に使われています。閉塞感を強調しているんでしょうね。3年生に上がった当初は、まだ先の事は気にしてない感じの主人公達。進路相談が始まってから、それぞれの様子が変わっていきます。終わりが近づいている彼らの青春。
ユキオは大田を殺害し警察へ、木村は野球にかけた青春を終わらせヤクザの世界へ。順次彼らは青春を終わらせ退場してゆく。3年になった年〜チューリップが無事に咲く2ヶ月ということは、これは5月までの期間なんですかね。5月流石に桜無いけどさ…。野暮な現実はさて置き、それだけ短い期間で起きたってことなんでしょう…。
だいぶ古い映画なので、脚本ルールに則った構成にはなってないような気がしますが、一応話の真ん中辺りでユキオが警察に連行され、話の流れが変わりだします。そっから不良少年たちの学校生活に、不協和音が響き始めます。
ラストの九條がやっと感情を見せるシーンは効果的だなぁ、と思いました。
それまでは殴り合いをしていても、表情一つ変えない表現だったので、青木のいる屋上に必死で走る姿が効果的だと感じました。途中で転倒するシーンも必死さを出していて良かっです。全体を通しての淡々とした演技の効果がここで出ているな、と。
最後に咲くチューリップは、九條のチューリップで、皮肉なラストでもあります。青木のもユキオのも咲かずに枯れてしまっています。(考察サイトでは、青木のが咲いたと述べてるサイトもありましたが、チャプターを巻き戻し確認をいたしましたら、咲いたのは九條の赤いチューリップです)
九條の『花は枯れるもの』という考え、大人の『花は咲くもの』って考え方の違いも、子供の短期的な見方、大人の長期的な見方の差を表してします。
青木はある種、『九條の幼馴染である』『友達である事』がアイデンティティーになっており、それが失われた為に新たなアイデンティティーの確立が必要になったのではないかと…。(九條を必要としないという自己の新たなアイデンティティー)
元々自己顕示や承認欲求、九條に対する劣等感があった為、ぶつかった際に九條に『お前じゃ出来ない』的な事を言われて、将来的な不透明さも相まって、絶望感が増したのではないでしょうか。
若者時代の未成熟な心は、衝動性と狂気に飲まれやすいです。
手元に置いて見返したい映画です。
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