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生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件のardantのレビュー・感想・評価

5.0
観終わった後、どうしようもなくなる程、切なくなる作品に、本年出会った。

そして、その作品は心して、覚悟して、観る必要がある。
実話だ。
こんな、作品を観ると、愛だ、恋だ、青春だ、ヒューマニズムだと言っていることが、虚しくなる。
安っぽいヒューマーニズムなんか、どっかに消し飛んでしまう、事件で全身80%のやけどを負い、自分をそのようにした犯人の気持ちさえ推し量ってしまう一人の女性を描いた物語。1980年代、あの頃の貧乏臭いけれども内容の濃い邦画だ。

『四万十川』(1991)でもそうだったが、恩地日出夫は、奇をてらったところがなく、原作に忠実に、本当に丁寧に丁寧に、描いていく。

主人公を演じる桃井かおりは、この重い物語のセリフを、例の軽薄な調子でぼそぼそと喋る。それがかえって、この作品に、これほどの感動を与えることになった。

作品の前半、重度のやけどを負った彼女の治療シーンには、眼をそむけざろう得なかった。
借金の資金繰りがつかず、夫に連れられて、向かった東尋坊の惨めな旅館で、便箋を出されて、何か書けと言われる。遺書だ。主人公は、そこに、「もっと生きたい、もっと二人で生きていきたい。死ぬのなら、一人では、先に往かないでください。」と書く。

石坂 昌三6位、押川 義行8位、河原田 寧6位、黒田 邦雄7位、土屋 好生7位、寺脇 研7位、野村正昭2位、全体23位が、1985年のキネマ旬報のこの作品に対する評価だ。おそらく、順位付けに参加した評論家の半分もこの作品を観なかっただろうし、知らなかったとさえ思える。

犯人への手紙の中で、「つらいことは、誰にも代わってもらえません。たったひとりでがまんしていくしかないのです。」と主人公は書く。
似たようなセリフを最近聞いた。脚本家坂元裕二が何かのTVドラマで書いていた。「本当に、つらい、つらい時は、がまんしなくていいんだよ。誰かに、つらいって言えばいいんだよ。」と。私には、どちらの言葉も、心を揺さぶられるように胸に突き刺さった。

本作品は私が、ちょうど、映画に興味を失った頃の作品だ。あったとしても、あの北の街の、あの頃の寂しい映画環境ではおそらく、観ることはできなかったと思われる。
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