タマル

時計じかけのオレンジのタマルのレビュー・感想・評価

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
4.5
“おれがいた 名はアレックス”
以下、レビュー。


中身はよく知らないけど
ルドヴィコ療法だけは知ってる。
ルドヴィコがグロそうだから出来れば観たくない……。

そんな感じの映画『時計仕掛けのオレンジ』を観賞いたしました。

本作は現実感のない映像が多く見られます。
左右対称すぎるアジト、綺麗すぎるトンネル、芸術的すぎる舞台上での強姦、クラシックをBGMにした喧嘩、明らかにクロマキー撮影したドライブシーン、生活感のない住居、ミュージカル強姦。凶器が性器。現代アート風の殺害。

これらの映像は、特にルドヴィコ療法前に集中しています。

なぜ、こんな現実感のない映像なのか?

私はこれを、アレックスの主観フィルターが強く反映されているのだと読み取りました。

特に暴力描写という点においてこれが顕著です。
アレックスの振るう暴力はどこかのどかに感じられるように描かれています。
それはBGMのクラシックや、怪我した描写がない被害者、戦闘シーンのお粗末さといった点からから読み取れますが、後にこれらが全て現実とは違う風景であったことがルドヴィコ療法によって示されます。

人は殴れば血が出るし、鈍く痛ましい音がする。
強姦すれば身の毛もよだつ悲鳴があがる。

つまり、ルドヴィコ療法で見せられた映画こそが“現実”であり、この治療とはすなわち夢想家アレックスを現実へと向き合わせるプロセルなのです。

では、アレックスは現実と向き合うようになったのでしょうか?

答えは否と言わざるを得ません。
彼は最後まで他者に囲まれて生きる自分を自覚しようとはしませんでした。彼が浴槽でとったある行動がそれを象徴しています。
結局、現実感のないまま生き続けようとすれば、もはや生きることすら出来なくなり、なおかつ現実感がないからソレをいとも簡単に選択できるということなのでしょう。

ふざけた奴が最後までふざけた映画。
ラストの治療室からは完全にファンタジーになったけど、映画なんだから嘘も方便ということで。
『バトルロワイヤル』のキタノのセリフと合わせて考察してみるのも面白いかもしれません。
オ ス ス メ で す ! ! !
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