YasujiOshiba

Virginia/ヴァージニアのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

Virginia/ヴァージニア(2011年製作の映画)
-
備忘のために

○ 引き込まれた。ただし、酔っ払って観はじめたので、途中で力尽きて寝込んでしまう。翌日すごく早く目覚めて、北海道の地震の映像に驚いた。なんだか今日は、ずっと夢の中にいるみたいだったのだけど、ふと、そういえば昨日の夜になにか面白ものを観ていた記憶があるなと、確かるために見直したのが、この「悪夢からうまれた映画」だったというわけ。

○ 映像がいいんだよね。田舎町をリアルに撮るときのトーンからして引き込まれる。あそこがきちんとしているから、現実と夢とのあわいのモノトーンがひきたつ。すごくコントロールされているのがよくわかるね。そんな映像が役者のよさをさらに引き立てる。ヴァル・キルマーもどことなくコッポラ自身を連想させてなかなかだし、ブルース・ダーンの曲者ぶりなんて最高。

○ 全体的に既視感もある。ふと『ボイス・オブ・ムーン』(1990)を撮ったときのフェリーニと比較したくなったり、カーペンターの『マウス・オブ・マッドネス』(1994)や、クローネンバーグの『裸のランチ』(1992)なども連想してしまった。そういう意味でも、すごく作家的であると同時にプライベートな作品。不思議な怖さがあるのだけど、スタイリッシュだから怖くない怖さで、軽やかな浮遊感が独特の味わいとなっている。

たとえば、コックリさんのシーン、そして「吸血鬼の処刑器具」のドラフトを書くためにきっちり整理した机の白い MacBook に向かうキルマーが最初の一文をいつまでたっても書けないところ、それから矯正に器具がピュンピュン跳んで来るシーンのエル・ファニング。

そういえば、彼女は同じ頃に『スーパー8』(2011)のアリスを演じてるのだね。そうなると楽しみなのは未見の『ネオン・デーモン』だな。さてどんな姿を見せてくれるのやら。

○ ところで、原題の Twixt は、この映画が「夢」と「現」のふたつの世界の重なり合いようのなことを意味しているらしい。そして実際、この映画のなかで、作家キルマーが思い出す娘の死は、そのまま監督コッポラの息子ジャン・カルロ・コッポラ(1963-1986)がなくなったときの状況そのものだというし(https://en.wikipedia.org/wiki/Gian-Carlo_Coppola)、そしておそらくそのイメージは、きっと湖の向こう青年フラミンゴ(オールデン・エアエンライク)が体現しているのだろう。
YasujiOshiba

YasujiOshiba