むさじー

PASSIONのむさじーのネタバレレビュー・内容・結末

PASSION(2008年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

<愛を求めて迷走するアラサー危機の行方>

中学教師である果歩の29歳の誕生祝いに、大学以来の友人が集まる。智也は果歩と婚約中で、毅は既婚で妻が妊娠中、賢一郎は昔から果歩に思いを寄せている。そんな男三人が、賢一郎の恋人で学生時代からの友人・貴子のマンションを訪れる。これがきっかけで智也はかつて関係を持ったことのある貴子に接近し、賢一郎は智也が果歩を裏切ったと怒って果歩のもとに走る。
私には『寝ても覚めても』『ドライブ・マイ・カー』より面白かった。愛情のベクトルが噛み合わないもどかしさと可笑しさ、舞台劇を繋ぎ合わせたような構成と知的な会話は演劇的なのだが妙にリアリティがあった。「コミュニケーションと本音」「暴力と赦し」というキーワードが絶妙に絡み合った知的なマジックを見せられているようだ。
雑駁に言うと、人は日常生活において、いかに嘘と本音を織り交ぜてコミュニケーションを図っているかということ。「本音ゲーム」で分かるように常識に縛られたり打算的であったり、自分の内にある本音はなかなか見えないものだ。中でも恋愛にかかるコミュニケーションのベクトルは、精神派(果歩)と肉体派(貴子)に分かれ、やがて「赦す愛」と「求める愛」に行きつく。
教師の果歩がいじめに絡めて語る暴力論は強引で悲痛だ。暴力には内からの暴力と外からの暴力があって、理不尽な暴力に襲われた時にできるのは「赦す」ことのみ。彼女なりの「赦し」なのだが、それは恋愛にも通じている。
ラスト、智也と果歩、貴子と賢一郎は別れることなく元のサヤに収まることを予感させて終わる。驚きはしたが、そんなものかも‥‥と納得するところもある。他人も自分も赦して、過去を赦すことから未来は始まるのかも。結局は折り合いをつけてリアルな日常に引き戻される、そんな苦さと切なさが残った。
知性と裏腹のあざとさみたいなものと、人生の岐路にさしかかるこの年代特有の、もう若くないという焦燥のようなものが感じられた。
むさじー

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