アニマル泉

奇跡のアニマル泉のレビュー・感想・評価

奇跡(1954年製作の映画)
5.0
映画史における最高到達点である。ドライヤーが成し遂げた「映画の奇跡」だ。
トップカットから素晴らしい。夜明けの農場のロングショットで強風に奥の白い洗濯物が激しく翻える。厳格な構図に官能的な「風」、洗濯物はドライヤーの主題であるが、やがて本作の中心となるインガー(ピアギッテ・フェーダーシュピール)が干したであろう洗濯物が慎ましく存在を主張している。いきなり決定的ショットである。次男・ヨハンネス(ブレーベン・レーアドルフ・リュ)がいなくなったと大騒ぎになる。父・モーテン(ヘンリック・マルベア)、長男・ミッケル(エーミール・ハス・クリステンセン)、三男・アナス(カイ・クリステンセン)がヨハンネスを探しに、例の洗濯物がバタバタと翻る階段を次々と登っていく。重要なのは「背中」だ。ドライヤーは「背中」の作家である。本作は冒頭からやたら背中が連続するのだ。そして強風で豊かに官能的に揺れる草の中でイエスに成りきったヨハンネスが説教を始めるのを三人は呆然と見る。
本作の美しさは「異様に強度なサスペンス」と「時間を操る魔術」に秘密がある。
まず異様に強度なサスペンスとは何か?
それは「交わらない視線」である。ドライヤーの後期の作品では登場人物の視線が交わらない。本作でも交わらない視線のすれ違いが一貫して、だんだんスリリングになっていく。例えばインガーと父・モーテンの場面、インガーはアナスとアンネ(ゲルダ・ニールセン)の結婚をモーテンに認めさせようとする。モーテンは視線を一切合わさない。インガーはそれを承知しているかのようにコーヒーを入れたり、なんとか距離を詰めようとして、遂にはモーテンの両手に糸を回して、なし崩しに結婚を承諾させようとする。インガーとモーテンの関係は何か淫靡なのだ。特にインガーに魔性を感じる。視線は合わないがモーテンを見るインガーの目つきにエロスが漂うのだ。ドライヤーはほとんどの作品で女性の魔性を描いている。魔女、吸血鬼、不倫、本作もインガーは妊娠していて、官能的なのである。これほど徹底的に視線が交わらないのはストローブ=ユイレの作品ぐらいではないだろうか?視線を交わして安易にナルシスティックな芝居になるのを禁じる厳しい演出である。しかし視線の交わし合いを禁じられて、スリリングな強度はどうやって生み出されるのか?「指」である。ドライヤーは「指」のエロスである。髪の毛をむしる指、目線はあわないが握られる指、ヨハンネスは常に虚空を見つめているがインガーの娘を抱く指は力強い。交わらない視線、指のエロス、この2つで本作は緊張感が張り詰めていく。
もう一つは「時間を操る魔術」だ。それは、一部の隙もない完璧なリズムである。本作はワンシーン・ワンカットの長回しが多い。遺作の「ゲアトルーズ」も長回しだがドライヤーはもともとは「部分の作家」である。切り取ったアップが素晴らしい。出世作の「あるじ」は本作と真逆の見事な視線劇だし、「裁かるゝジャンヌ」は凶暴なアップの「部分」だけで描いてしまった傑作である。この凶暴なアップはサミュエル・フラーしか太刀打ち出来ないだろう。しかし本作はロングやタイトサイズの長回しが多い。一見するとドライヤーの作風がモンタージュから長回しへ変化したのかと見えるのだが事の本質はそこではない。芝居の間、動き、出入り、音で事態が進行するテンポとリズムが正確無比なのだ。ここしかないという絶妙なタイミングで電話が鳴り、事件が起きる。計算され尽くした構成なのである。もし本作をモンタージュの手法で細かくカットを重ねたら、フリッツ・ラングの最良のサスペンスと匹敵する作品になるだろう。長回しやモンタージュの技法を選ばず、正確無比に時間を操る魔術こそドライヤーの秘密である。ドライヤーはグリフィス以来ハリウッド映画が築いてきた視線劇によるモンタージュという強固な制度を乗り越えた偉大なシネアストである。だからこそドライヤーは映画そのものなのだ。
ドライヤーは「官能」の作家だと思う。その意味ではラストカットのインガーとミッケルの接吻するツーアップのエロスは至芸である。どうしようもない官能のとどまることがない発散に圧倒されるばかりだ。
本作にはサスペンス、メロドラマ、コメディー、ファンタジー、全てが豊かに詰め込まれている。ゴダールの「気狂いピエロ」のようだ。厳格に削ぎ落とされたシンプルな世界に、あらゆるジャンルが立ち上がる。これもまた本作の奇跡である。
ドライヤーは一貫して神を描いて来たが、不思議と「祈る」場面が少ない。本作でも祈るのはヨハンネスだけだ。
本作はインテリアが素晴らしい。部屋が半分づつで全く違うレイアウトになっている。花柄の壁が背景になると、花瓶、インガの花柄のワンピースとのマッチングが完璧で至福になる。
ドライヤーが得意なのはフレームショットだ。扉、窓、棺桶、様々な矩形のフレームが頻出する。ドライヤーの出入りは厳密だ。扉を疎かにしない。律儀に扉からの人の出入りを撮る。まるでルビッチのようだ。そしてドライヤーは窓際に人を立たせるのが上手い。窓から外を覗く人物に窓からの外光が刺す、ドライヤーの十八番のショットだ。フェルメールの絵画のようだ。本作では官能的な外から刺す光の場面がある。夜、医者と牧師を乗せた車が去るヘッドライトの光線が室内をサッと走る場面だ。車は映さない。発車する音と走る光線だけで描く。この場面は艶かしかった。
映画のロケと室内のセット撮影をどうつなぐかはアキレス腱になる。いかに繋ぐかで作家の力量が問われることになる。ドライヤーは関係ショットは描かない。窓から覗く顔を外から窓越しに撮ることは滅多にない。この点も厳格である。
音楽はタイトルとナレーション部分のみ。
白黒スタンダード、ノークレジットだった。
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