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オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダーの教授のレビュー・感想・評価

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2011年。東日本大震災直後の日本で、当時の友人たちと大挙して観た。
当時はその鑑賞体験やら世相やらで感動もした記憶がある。
それがもう13年前。

僕としては震災の影響は直接なかったが、ニュースなどで知る状況の凄惨さは、ずっと心に残り続けることだと思う。
そして、もう当時から「自粛」という言葉や、それによって静かに「エンターテイメントの意義」というものが話題に上ったりもしていた。

そんな時代の空気が反映されているのかいないのか、本作は「微妙」なものが入り込んでいる。
マーベル・コミックの一連のシリーズ「MCU」以降スケールが大きくなり、ハードルが上がってしまった今、日本のヒーロー物の代表作である「仮面ライダー」シリーズも表現として見すぼらしく感じられるようになり、自分も大きく変わってしまった。
荒唐無稽な物語にはどちらも違いはないのだけれど、冒頭からシーンとシーンがまるで繋がっていないだけでなく、登場人物たちのセリフややり取りも成り立っていない。
ひとつの映画作品としては粗末さの方が今は目立って感じる。

特に終盤のライダー大集結は、物語上のロジックすら皆無で、加えてキカイダー兄弟、イナズマン、快傑ズバットまで登場するし、さらにもゴリ押しでサブライダーたちも全員集結。
特に会ったこともなく、何なら悪の仮面ライダーたちも一言言葉を発することなく共闘する。

ただ本作を嫌いになれないのは、中盤のショッカーに支配された世界。
その仮面ライダーすら悪の手先である世界で、完全に見捨てられた子供たちが、昭和の初代仮面ライダーと、共に戦う「少年仮面ライダー隊」を最初はバカにしていたにも関わらず、最後はその精神を継承する展開は、見事なまでに時代を反映したテーマと、それに対しての「仮面ライダーシリーズ」からの回答になっている。

ヒーローは子供たちのもの。
そして、その子供たちに向き合って、理不尽に立ち向かう勇気を授けるもの。
少なくとも「昭和」の仮面ライダーが訴え続けたものが、平成になって成立しなくなった存在意義を、改めて突きつけた、その点だけは評価したい。

…ただ作中示される1971年。
仮面ライダー1号と2号が戦っていたのは大まかに言えば合っているが、ブラック将軍(福本清三)が在籍しているのならば「ゲルショッカー」のはずで、ショッカーは既に壊滅しているはず…ということで何から何まで雑な作品であることは否めない。
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