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続・男はつらいよのkojikojiのレビュー・感想・評価

続・男はつらいよ(1969年製作の映画)
4.7
 映画のオープニング
 紅葉が綺麗な川辺で箒を掃くおばちゃんに、寅次郎は母の面影を見た。
「もし、人違いでしたら、ごめんなさいよ
もしや、貴方は、お菊さんとは申しませんか?
お菊さん、よーくあっしの顔を見ておくんなさい
この顔に見覚えはござんせんか
お分かりじゃござんせんかね

今を去る38年前
雪の降る寒い夜
貴方は玉のような男の子を生みなすったはずだ
おっかさん、お懐かしゅうござんす
おっかさんのせがれ寅次郎でござんす」
しかし、寅次郎のその声を聞いたか聞かずか母はスーッと消えていく。おっかさんと寅は何度も叫んでいる。
私の亡くなった母も、数年は夢に現れ、こんなふうに去っていった。
目が覚めると、寅次郎は泣いていた。

これは、どう見ても、長谷川伸「瞼の母」のオマージュである。
昭和の男にとって、母に対する思いは、この瞼の母に収斂する。
母を早くに亡くした私にはこのシーンは夢現(ゆめうつつ)の世界である。

今回の寅次郎の脇を固めるのは坪内先生とその娘夏子だ。
夏子役佐藤オリエの知的な、昭和の女性らしさがすごく好きだ。持っているのはチェロか、またあれがいい。

テレビ版「男はつらいよ」でも坪内先生は登場する。もちろん坪内先生は東野英治郎、夏子は佐藤オリエである。(テレビ版では冬子になっているようであるが)

ふとしたきっかけで、尋ねることになった坪内先生の懐かしい家。
「先生、覚えているかい」という寅に
先生は「覚えているよ」と答える。
このやりとりが好きだ

二人はおでんをつまみに酒を飲んでいる。坪内先生は久しぶり教え子と飲む酒が嬉しくてしょうがない。先生はかなり酔っている。
坪内先生が吟じる。
これに痺れる。

「人生相見ざること
ややもすれば参と商のごとし
今夕復た何の夕べか
この灯燭の光を共にす」

 「人間というのは、再会するのは、はなはだ難しいことだ。
 今夜はなんと素晴らしい夜であることだ。  
 古い友人が訪ねてきたのである。
 お父さんの友達が来たというので子供達が質問攻めにする。酒をもってこいと追っ払う。二人は杯を重ねる。」

 坪内先生と寅、そして少し笑いながら二人を見ている夏子。
 瓏々と坪内先生が語るこの夕べが、私は「男はつらいよ」全作品の全シーンの中で一番好きなシーンだ。
それはなぜか。
それは「郷愁」が満ち満ちているから。

 当然のように夏子に恋をした寅次郎は夏子と「さしずめインテリ」の医者との恋を目撃して、柴又を去ることになるのだが。
とらやの2階で旅の支度をする寅次郎は泣き崩れる。この時の寅次郎の涙は、失恋ばかりでないだけに、胸が締め付けられる。初めて映画館で観た時は、涙が止まらずしばらく外に出れなかった。思い出の映画だ。

No.1587
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