れーちゃん

イディオッツのれーちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

イディオッツ(1998年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

身体の障がいと心の障がい

社会に馴染めず生きづらさを抱えながら生きる若者たちが、”弱者”も集まれば力を発揮すると考え、集団で「障がい者」を演じながら暮らす様をモキュメンタリー調で描く。”弱者” とは、本当の ”愚者” とは一体誰なのか?若者たちの心の弱さに触れていく。

主人公・カレンは入ったレストランで、2人の知的障がい者男性とその連れの女性に出会う。
彼らは次第に落ち着きがなくなり、店内を徘徊したり他のテーブルに迷惑をかける。困った店員は出ていってくれと命ずるも、男性のうち1人は、カレンの手を握って離さない。
いよいよ店主に追い出された彼らと、手を繋いだままのカレンはそのグループと一緒に外へ出る。彼らをタクシーに乗せるが、手を離さないので仕方なく同乗する。車が走り出すと、突然、無銭飲食をするために演技をしていたのだと言い大笑いを始める。

カレンはなんなんだこの人たちは?と呆れるも、そのまま彼らについていく。
とある空き家に辿り着くと、そこには「障がい者」のふりをして集団で生活をする、社会不適合者の男女が暮らしていた。
興味本位で行動を共にし始めたカレン自身は、次第に心に空いた穴が塞がるような感覚を覚え始める。。

観客の我々は彼らの動きが「演技」だとわかっているから笑ってしまうが、実際に障がいをもった方々が同じことをしていたら笑えない。
この時点で人間は皆、無意識の中で差別をしている「愚者」なのであるというメッセージも込められているように思う。

一方で、トリアーの描く本筋はすこし違うとも思っている。

この集団の男女は突然障がい者モードになる。まるで、オンオフのスイッチがあるかのように。
自分が社会に対し生きづらいと感じる場面や、なにか都合の悪い時に「愚者」を演じ、その場を乗り越えているのである。

彼ら全員、健常者でありながら「心に障がい」を抱えているのではないかと、私は思う。
どこでも全裸になってしまう色情狂の女性や、実際に精神安定剤がないと暮らしてこれなかったような人、そして一度は団体を離れたもののすぐに戻ってくる人など、様々な「心の病」を抱えたものたちがいたのではないだろうか。
集団かつ障がい者のフリをしている間だけ、ほんとうに心が弱い人間だということを知られる前に知能や身体が弱い人だと思われることで、自分たちの心の闇を見せなくて済む。
そのことで、安心できたのだ。

また、人は見た目ではない。というテーマを、リーダー格のストファーを通して描いている。

お金持ちなどから障がい者として蔑んだ目で見られると、ストファーは激怒する。
しかし、本当に障がいのある人たちと関わる機会があった際には、ストファーは彼らに強く当たる。
ストファーが思う「愚者」というのが障がい者なのに、実際に純粋無垢な障がい者を目の前にしたことで、自分を哀れに思ったのだ。

また、ストファーは気に入らないメンバーをはめようと、タトゥーだらけの怖い男性たちの中に障がい者のフリをした若者を1人残す。
観客は、「彼らが何かしでかすのではないか?」と無意識に良くないことを想像しまうが、その怖い男性たちに限っては、用足しの面倒までしてあげるのだ。
ここで、「彼らが何かしでかすのでは?」と思ってしまった観客に対し、それも「愚者」だということを伝えているようにも思った。
まさに、人は無意識のうちに人を判断していると言わんばかりに。

また、ラストのシーンについて。
冒頭から垣間見られるインタビュー部分に関しても、段々とカレンの死に対するインタビューなのではないか?と推測できる。

この集団行動にもほころびが出始めた頃、メンバーも減り、資金も尽き、解散することに。
その際、皆がこれまでの生活に戻っても、「愚者」としてやっていけるのか検証することになるが、誰1人と元の生活では「愚者」になれなかった。
しかし、自分の心に開いた穴と向き合おうと家に帰ったカレンは家族の前で「愚者」を演じきったのだ。

このシーンによってカレンだけが「本当に心の病を抱えていた」のか、「カレンだけが真っ当だったのか」を考えることになる。

カレンだけはみんなと同じように障がい者のフリをしようとしても虚しくなり泣いていた。なのに、
身内の前でも「愚者」を演じることができたことで、カレンは意志の強い人間=病気ではなかったんだという解釈。

もう一方で、「愚者」を1番近い存在の身内の前でも演じられる精神力こそ、もう限界に達していたという二パターンだ。

前者の場合は、自分の意思で悲しみから解放されたかったため、
後者の場合は本当に限界に達したため、どちらとも読み取れるのだ。

この答えはまだ出ないが、他のトリアー作品にも共通するテーマではあると思うので、もう少しよく考えてみたい。

また、社会不適合者な彼らを否定も肯定もしないあたりがトリアーらしいと思ったりもした。
れーちゃん

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