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しとやかな獣のotomisanのレビュー・感想・評価

しとやかな獣(1962年製作の映画)
4.3
 ふつうの世帯なら所得倍増になんだ?と思っている頃、しとやかな獣、若尾は依然、生存本能に駆られている。子どもと自分だけ、誰も他人を踏み込ませない居場所を得るために周到に、しっぽを掴まれない算段を弄して男どもを絡めとり貢がせる。それもそのはず、貧乏には泣かされた母子家庭で、あの二の舞はもう御免。幸せは身を捨てて戦い捥ぎ取る。これを教えてくれたのは男が作ったこの時代であり、この決心を口外しないのが女の知恵だろう。

 そういえば、しとやかな若尾に貢いだ中のひとり、川畑も父親雄之助の事業運のなさのおかげで貧乏はこれまたまっぴら。ただ、あんな暮らしは人間のそれではないとはいえ、若尾に貢いで捨てられて、おまけに会社の金の横領もばれてやけっぱち。だから、今の暮らしのありように、親に聞かせたい愚痴はいくらでもある。それに輪をかけて、キャバ嬢からエロ本紛いで人気の小説家の妾になった姉はおやじ雄之助の繰り出す無心の口利きにうんざり。こちらも愚痴で負けてない。しかし、哀れな娘と浅はかな横領息子に向かって浴びせた雄之助おやじの𠮟声はハードボイルドな歯応えだ。あの貧乏暮らしよりいっそ刑務所暮らしのほうがよっぽど人道的だと思ってるんだろう。

 貢がせて梯子を外す獣はワルいし、貢ぐ金を横領で賄う川畑息子もワルい。さらに怨敵貧乏退散なら娘をエサに男に貢がせる雄之助親父もみんなワルだ。しかし、横領息子はさておき、このままならこれら誰も手が後ろに回る者がないらしいのが破廉恥なところだ。だが、この女狐若尾に雄之助タヌキが本当に安泰なのか?すると、貢いだもうひと方、税務署の吏員船越の「若尾いのち」な一途さで若尾の「わ」の字も言うまいと自裁してことを刑事事件に引っ張り込む。
 ひょっとすると、横領息子の授刑必至におねだりが過ぎて放り出された娘とダブル「失業」の一家を抱えて雄之助おやじは本当にムショ暮らしなら三食賄いありなんて酔っ払いついでに思ったろうか?やけっぱちにもまさかと思うが。

 こんなとんでもない一家を眺めながらふと思うのは、これにひと月先んじて公開された小津の「秋刀魚の味」である。あちらの笠も駆逐艦長なら中佐クラス相当で雄之助と同等、妻には先立たれたが姉と弟の二子が同居と申し合わせたようでさえある。それが何の因果の食い違いだろう。実業で乗り越えてきた笠と失敗を重ねた雄之助の対比から、彼の一家を食い潰す悪女が彼女を泣かした戦争と戦後の積弊を晴らす復讐を仕掛けているような寒々とした景色を感じてしまう。
 あの笠の深夜の食卓に小さく遠く一人座した寒々とは異質な、ひたすら冷酷さを川島監督は船越の死と共に呼んできた観がある。左様、死はともに獣に対しても、他人の船越に押し付けたツケの差し戻し、船越を抱いたあの手触りがその背を押した感触としてよみがえらされ、「お前宛だよ」と凶状として突き付けられるのだ。その禍々しさを真っ先に想像するのは妻久乃である。
 戦後「強くなった」とからかわれた女だが、おかげか幾人もの悪女が文章と銀幕を飾ったように、男の膝下で何事にも黙って平静を装って過ごした昔と違って、死のにおいをまっさきに嗅いで起こるべき事態への不安と呵責にいま公然と身じろぐのである。これでは幸せにはなれない。笠が感じたろう遠くの幸せをひとりうれしく思うささやかな世界はいつか訪れるのだろうか。
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