Kuuta

ある結婚の風景のKuutaのレビュー・感想・評価

ある結婚の風景(1974年製作の映画)
3.8
ファニーとアレクサンデル最終上映に向けてベルイマン復習中。

夫婦の破綻と復活?を描いた各50分×全6話のテレビドラマ。各話ほぼワンシチュエーションのドロドロ会話劇。演劇に近いが、編集と演技力で映像として成立させている。映画のように連続で見る想定の作りではないし、50分ごとに集中するのがちょうど良いと思った。実際私も3日に分けて見た。

以下、各話で印象に残った場面。どれも最後に、撮影地のフォール島の美しい風景が差し込まれる。ドラマを現実へ落とし込むイメージかな。

【第1話】
・理想の夫婦として新聞の取材を受ける。不安げな表情(映像)と、塗り固められた文章の乖離から物語は始まる。
・2組の夫婦が向かい合って夕食を食べている。無造作な引きのショットから、愛を語る妻の顔へじわじわ寄る。次第に険悪になる友人夫婦、心境の変化を切り返しと寄り、受けの表情の有無によってテンポよく描く。
・彼らの喧嘩に対し、主人公夫婦は「うちは大丈夫」と取り繕うが、キッチンの赤い照明の下、2人もじわじわと血を流し始めている。
・太陽と湖に反射した虚像の太陽で終わり。

「沈黙」の感想でまとめた俺理論なんですが、ベルイマンは神や愛を、光として演出する人だと思う。日照時間の短いスウェーデンならではの実存的不安が作品の根底にあって、善なるものの頂点には太陽があるが、決して触れられないので、影を操る、小さな光をコントロールする事で人間を描こうとする。

【第2話】
・夫の仕事は「灯りを消したら現れる点を追う実験」。モニター越しの遊びは映画監督のよう。仕事では灯りを使うが、家で灯りを制御するのは妻。
・車内での夫婦の会話。話しかける妻に対し、夫はほぼ顔を向けずに応答する。
・妻は生きる感覚が衰え、家庭に閉じ込められることへの恐怖を覚えている。離婚相談を受けた初老の女性に「テーブルに手を触れることはできるが、感覚がぼやけている」と言われる。これ以降、夫と手を繋ぐ動作が繰り返される。
・向き合っての会話なのに、切り返しがない。引きのショットの中で言葉だけが宙に浮いている。
・ぼんやりした太陽が一つだけ遠くに見える。

【第3話】
・夫の告白。「普通の家族より良くも悪くもなかった」。ベッドから立ってウロウロ。妻は家の各所を歩き回り、一つずつ灯りを消していく。美しさと不気味さが一体となった長回し。
・寝室に残された妻、後ろのカーテンの赤が残酷なほど強い。
・曇り空と海。

【第4話】
・身勝手にも再起を試みる夫。少しだけカメラの切り返しが始まる。目に見えるものが安全の証だと思っていたが、やっぱり孤独だ。本物の絆なんてないと説明。
→ 言葉で考える虚しさ、もっと身近な次元で考えろ、そんなの強さじゃないと妻の本音、ルーツが語られるが、会話を受ける夫は寝ている。
・身を寄せようとする=片方の画角に無理やり入り、顔を物凄く近づける。ベルイマン得意の不安定な距離感。
・雨の湖面。

【第5話】
2人は体を交わす。続く対面での会話で、カメラの切り返しがリズムよく始まり、遂に互いの意見をぶつけ合う。夫は妻を「セックスを取引に使った娼婦だ」と罵るが、妻は「社会と家族の抑圧への抵抗だった、その状況にしたのは誰だ?」という問いで返す。強い。
・妻の血が流れる。返り血が夫の服につく。最高に居た堪れない離婚届へのサイン。文字と現実の一致。
・荒れ果てた湿地帯。

【第6話】
・5話で議論になった夫婦の性生活について、妻は自分の母親にも経験を聴いてみる。母も苦しんでいたと分かる(鳴り止まない時計の針、時間経過の重み)。ここも良いシーン。
・夫は不倫相手とも別れる。書いていた書類の「ピリオドを打って」別れを告げる、昔のアメリカ映画みたいな演出。離婚届に続き、文字と現実が一致し始めている。
・夫婦が再開する直前、カメラの前を赤いバスが通り過ぎる。車内での会話の撮り方、切り返す度に相手に顔を向けており、第2話の車内の会話と対比している。
・たどり着いた別荘。「関係の破綻した男女が無言で部屋を片付けることで何かが修復されていくシーン」大賞決定。
・最後に夫が灯りを消す。
・湖面に反射した二つの太陽。第1話は自然だけだったが、今回は太陽の間に小屋が配置され、光に挟まれた人の気配に、微かな希望を残す。
Kuuta

Kuuta