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按摩と女のotomisanのレビュー・感想・評価

按摩と女(1938年製作の映画)
4.2
 好いた女は犯罪者。研ぎ澄ました感覚と類稀な勘働きが売り、四周のできごとを相棒福市と読み比べしては楽しんでいる。この按摩、徳市が、好いた弱みではまり込む悪い妄想。あのヒトはあの男(佐分利信)とデキてはしまいか?こちらの尾行をそれと承知で逸らしてじらす。こっちのこころをどこまで先読みしてるんだろう?そんな女が只者のはずがなく、ならば?

 折しも温泉街に現れた泥棒の素性も何も知れないところに直感した徳市が決死の思いで女を逃がそうと夜の街を走る。捕まってもこれ以上墜ちようがない盲者だから受刑と引き換えの兵役さえ道がない。鑑札を奪われ道頭に飢渇しようと構わないならいっそ女だけ逃がして自分が自首しようか?そんな想像を露わにもしないほど慌てふためいて、それが却って女にも宿の者にもきっと滑稽に見えるのだろう。あんたが泥棒なのはまだあたししか知らないのだから今のうちに逃げとくれ!
 濡れ衣ならいい迷惑だろう。裸足で夜道を走らされての泥棒呼ばわりだ、この変態按摩と叫んで徳市の息の根を本当に止める事もできたはずだ。しかし、女が語るのは自身の素性。追われてるのはホント。ただし官憲でなく嫉妬深いわたしのダンナ。助けてくれる心根をありがたく酌みはするけど、徳さんアンタまさか私の体を買い取ってくれるかい?言葉にされない問いに返す言葉もない徳市が、いっそ勘違いのまま女を庇って撃たれて死ねたらとまで思ったか?

 誰も知らないふたりだけの大事件の火種は田舎大尽ぶったゴマの蠅。そんな事は知りたくもあるまい。同じ乗り合い馬車で温泉を去る女がどこへ向かうのか。どこへ向かおうと借金の証文がある限り日ノ本に自由は無し、この街でもただ情ばかり深まった男がどこかの物陰からこちらを見ているだろう。ただ、その男はいのちを捨てる気で私を庇って一緒に夜道を駆けた男で、死んでしまったら私の本当を知らずに死ぬのであって、行きずりに浴びた香水を馬車の馬臭さの中からきき分けた男。それを美しいと信じたか好きだとこころに刻んだか、そんなはじまりに身も心も挺した夢見がちな男だった。
 けれど、添うも暮らすも叶わぬながら、思い込みと誤解の中にも「ほんとう」の欠片があって、それにいっとき一生を預けた気がした男でもあった。ついにその姿を露わにせぬまま馬車が街を離れる。薄れる残り香を未練と切り捨てられないその姿を知る事もなく女の記憶もきっと閉じられる。ただ、忘れられないヒトとはこんな男の事を指すんだろう。
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