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都会のアリスのesのネタバレレビュー・内容・結末

都会のアリス(1973年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

絡みつきしがみ付くものを失ったシーホースのように移ろい虚いゆくジャーナリストの青年と、しがみ付く親を失った少女のロードムービー。

ナチスを育ててしまった親世代の罪と、個人ではなく社会がそうさせたという風潮(責任を外に置く責任放棄的な大人の姿)を見て育った世代は、権威的なものを嫌い極端な者は育児も放棄し無分別な自由性を尊重したものもあった。ある意味では主人公もアリスも(アリスの母も恐らく実父や義父も)責任を放棄した親の姿を見ながら時代の流れの中で漂う存在、ロードムービーにぴったりな登場人物と言える。

「ニューヨークを一歩出ればどこも変わらない」 という言葉や西ドイツに戻ってからも至る所に見えるアメリカ的なものは、近代化・資本主義経済における単一化・同一化に対しての批判。確かに主要都市のJR駅前が同じような景色だったり、国道沿いに並ぶチェーン店など日本においても同様の事が言える。今では西欧も含め同じような景色の場所は世界中に広がっている。
ただし、幹線道路の脇の街並みを眺めてドライブしたくらいで「同じだ」と判断するのはジャーナリストとしては些か浅すぎる取材旅行(後で主人公の未熟さについては彼を振る恋人が問題点をハッキリと指摘してくれる)。とは言えアメリカは西ドイツの40倍近くの国土を持つ。ニューヨークは西ドイツの約3分の1の面積。西ドイツで知る「アメリカ」は今以上に、殆どがニューヨークなどの一部の大都市のイメージだったであろう。

西ドイツの68年運動を考えれば主人公がアメリカに夢と希望だけを抱いてやってきたとは考え難いが、公民権運動を始めとした解放運動やベトナム戦争に対しての反戦運動などのパワーから想像した広大なアメリカの連合的な多様性を期待していた可能性はある。
また、この時代の西ドイツではまだ商業放送は開始されておらずCMの入らない公共放送のみ。
テレビを破壊した時に流れていた番組はジョン・フォード監督の『若き日のリンカン』であり、かの監督ロングショットを中断させるCMは主人公にとっては耐え難いもの。しかも黒人大学基金の後にフロリダのリゾート地のCMが流れるという連続性の無さ。言及はされていないがフロリダでは1971年にウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートが開園している。主人公の嫌う消費主義やグローバリゼーションによる均質化を進める一因を想起させるものを見て怒りが沸点に達したとも取れる。

この作品は主人公の旅の終わりから始まる。
彼の年齢的に第二次大戦期に生まれ、国家が崩壊し手本となるはずの大人たちが打ちのめされ何もかもを失った中で育ったであろう事が分かる。(しかも故郷のデュースブルクは工業都市で戦時中は激しい空襲を受け壊滅的状態となった場所)
「自分を失ったら見るもの聞くもの全てが通り過ぎる」が指す自分とは主人公でもあるし、戦後のドイツ人でもあるし、国家そのものでも当てはまる。彼らはアメリカ化を推し進める中で通り過ぎた過去や自分達から目を逸らしていた。その反動が68年運動に繋がる。

ぼやく為に訪れた恋人(実際に当時の監督の妻)の部屋には幾つかの本が置かれている。見える限りだとフィッツジェラルドの『夜はやさし』、今作の発想源になり共通するテーマやキーワードを持つ『Short Letter, Long Farewell』の作者であるハントケの『Wunschloses Unglück』、ダンボが表紙のディズニーの教育本がある。これらの作品は今後の展開や関係をある程度示唆するキーワードが含まれている。特に上記3作に共通しているのが「母との別れ」であるのは偶然では無さそう。
彼らが旅する1973年は、アメリカでは米軍がベトナムから撤退し、資本主義の象徴とも言えるニューヨーク・ワールドトレードセンタービルがオープンした。金ドル本位制の崩壊によりアメリカ主導の固定相場制から変動相場制へ各国が移行し始めたのもこの頃。ちなみに前年にはウォーターゲート事件が発覚し73年は裁判真っ只中である。権威が失墜し豊かな国アメリカが勢いを失っている時期。
一方西ドイツは、1972年に東西ドイツ基本条約を結び互いに主権国家である事を認め関係の正常化に踏み出した。勢いは外交だけではなく、1972年のUEFA EUROでは西ドイツが初優勝しベッケンバウアー(作中に出てくるサッカーマガジンでピックアップ)はバロンドールを獲得した。
公民権運動など民衆のパワーは強いが政府としては勢いを失っているニクソン政権のアメリカと、政治経済面でアメリカ化政策を推進してきたアデナウアー政権とは違い、アメリカの近代的な民主主義が持つ自由性で古くからの保守性を払拭しようとしたブランド政権の西ドイツ。西ドイツはこのままアメリカの後を追い続けるのか、追うにしてもどのような形を目指すのかという岐路に立っていた。
資本主義経済の象徴として垂直方向に伸びていくビル。NYではエンパイアステートビルがどこまでも高く聳え立つ。灯台のようなそれは辺りを明るく照らすが、照らされない部分にいる人々はより一層闇を実感する。

タイトルはルイス・キャロルの"Alice's Adventures in Wonderland"から。政治プロパガンダ色が強い作品、勧善懲悪もの、教訓主義作品に対する批判が色濃い『不思議の国のアリス』と当時のドイツ映画界のニュー・ジャーマン・シネマのスタイルを重ね合わせたのだと推測する。
作中のアリスは不思議の国のアリスと同様、常に何か食べようとしている。
アリスと同様に「変な夢を見た」と言うが、強制的に恐怖映画を見せられている状況よりも、母親に放置され見ず知らずの男と旅をしている現実の方がよっぽどおかしな状況である。

今作の土台となったペーター・ハントケの『Short Letter, Long Farewell』では、デウス・エクス・マキナとして錯綜した物語を解決に導く神的な役割としてジョン・フォード監督が登場する。しかし、今作では代わりにジョン・フォード監督の訃報記事が映る。物事を正しい方向へと導いてくれる存在を失った者達は一体何処へ向かうのか。
実によく出来たラストシーンだと思う。
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